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ユニバ女子日本代表がウィリアム・ジョーンズカップへ出場|絈野夏海や佐藤多伽子ら12名が選出

女子ユニバ日本代表が発表、若手精鋭12名が国際大会へ

2025年6月30日、日本バスケットボール協会(JBA)は、「第44回ウィリアム・ジョーンズカップ」に臨む女子ユニバーシアード日本代表の最終メンバー12名を発表しました。チームは台北市で行われる本大会に続き、「FISUワールドユニバーシティゲームズ(旧ユニバーシアード)」にも参戦予定です。

平均年齢22.2歳、若手中心の編成に

小笠原真人ヘッドコーチの指揮のもと、今大会に臨む女子代表チームは、平均年齢22.2歳、平均身長174.3cmという構成。学生世代の注目株と、Wリーグで台頭する若手がバランスよく選出され、次世代の日本代表を担う人材が揃いました。

注目の選手:絈野夏海と佐藤多伽子

今回のメンバーで最年少となるのは、20歳の絈野夏海(東京医療保健大学2年)。173cmのシューティングガードであり、大学バスケ界でも高いスキルと実績を誇ります。

また、Wリーグのプレステージ・インターナショナルアランマーレにアーリーエントリーした佐藤多伽子も選出。176cmのサイズと得点力を備えたSGとして注目を集めています。大学とプロの経験が融合された彼女の活躍に期待が高まります。

Wリーグと大学バスケの融合が加速

この代表チームには、トヨタ自動車アンテロープスや日立ハイテククーガーズなどWリーグの強豪クラブに所属する選手が名を連ねています。学生バスケからプロステージへとステップアップした選手たちが融合し、競技力の底上げを図る構成です。

Wリーグの実戦経験を積んだ選手と、大学リーグのエースたちが共にプレーすることで、個人のスキルだけでなく戦術理解の深化も期待されます。

ジョーンズカップでの戦い、そしてドイツへ

ユニバ女子代表は、7月2日から台湾・台北市で開催されるジョーンズカップに出場。その後は、7月16日からドイツで開催されるFISUワールドユニバーシティゲームズにも連続して出場する予定です。

連戦となる国際大会で、若手選手たちはハイレベルな試合経験を積み、日本女子バスケット界の未来を担う存在へと成長していくことでしょう。

代表メンバー一覧(2025年6月30日発表)

  • #0 山田葵(PG/167cm/富士通レッドウェーブ)
  • #4 絈野夏海(SG/173cm/東京医療保健大学2年)
  • #5 藤澤夢叶(G/162cm/山梨学院大学4年)
  • #11 岡本美優(PF/179cm/トヨタ自動車アンテロープス)
  • #14 朝比奈あずさ(C/185cm/筑波大学4年)
  • #19 舘山萌菜(SF/177cm/日立ハイテククーガーズ)
  • #25 佐藤多伽子(SG/176cm/プレステージ・インターナショナルアランマーレ)
  • #30 三浦舞華(SG/170cm/トヨタ自動車アンテロープス)
  • #42 田中平和(PF/180cm/トヨタ自動車アンテロープス)
  • #45 粟谷真帆(PF/182cm/日立ハイテククーガーズ)
  • #74 樋口鈴乃(PG/163cm/日立ハイテククーガーズ)
  • #91 大脇晴(PF/178cm/東京医療保健大学4年)

今後の視聴方法と応援のポイント

試合の模様はJBAやFIBA関連の公式サイト、動画配信プラットフォームを通じて配信される可能性があります。日本の未来を担う若き才能たちが国際舞台でどのような戦いを見せるのか、バスケットボールファンにとっては見逃せない2大会となるでしょう。

将来の日本代表の中核を担うであろう12名の選手たちの成長と挑戦に、ぜひ注目してください。

宇都宮ブレックスが一挙14名と契約継続発表!田臥勇太&比江島慎らが新シーズンへ挑む

宇都宮ブレックスが2025-26シーズンに向け14名と契約継続

B1リーグ所属の宇都宮ブレックスは、2025年6月30日にチーム所属選手の契約状況を発表し、現役を引退した村岸航を除く14名との契約継続を明らかにした。これにより、2025-26シーズンに向けたチームの骨格が固まり、国内外のタイトル防衛に挑む態勢が整った。

今季、宇都宮は3年ぶりとなるBリーグ制覇を達成し、さらにアジア最高峰のクラブ大会『バスケットボールチャンピオンズリーグアジア2025(BCL Asia)』でも優勝。国内外で二冠を成し遂げた背景には、チーム全体の組織力と層の厚さがあった。

発表が遅れた背景と一斉発表の意義

シーズン終了後も契約更新の発表がなかなか行われなかったのは、宇都宮が国際大会を戦っていたためであり、選手の去就に関する情報が出揃うタイミングを見計らっていた。BCL Asiaの終了と新シーズン登録日を目前に控えた6月30日、ようやく全選手の動向が明らかとなった。

この一斉発表には、ファンや関係者に向けて「チーム一丸で戦い続ける」という強いメッセージが込められている。

田臥勇太、現役18年目の意気込み

44歳となる田臥勇太は、今季も宇都宮ブレックスの象徴としてプレーを継続。Bリーグ最年長選手でありながら、ベンチや練習での存在感は絶大だ。18シーズン目を迎える田臥は、クラブを通じて「大好きな仲間たちとバスケットができる喜びを胸に、また最高の景色を目指して戦い続けたい」とコメントを発表。自身の成長とチームへの貢献に意欲を見せている。

比江島慎「新たな歴史をともに」

宇都宮の日本人エースとして活躍し、2024-25シーズンにはベスト3ポイント成功率賞を受賞した比江島慎は、35歳のシーズンを目前にさらなる飛躍を誓った。「EASLや天皇杯などでも新たな歴史をつくりたい。ハードなスケジュールの中でも全力で戦います」と、複数の公式戦に向けて意欲を語っている。

比江島はニュービルと並びチームのダブルエースとして機能し、国内外の舞台で宇都宮を牽引してきた。来シーズンもその役割は健在だ。

若手選手の躍動とチームの層の厚さ

今回の契約継続には、高島紳司や小川敦也といった成長著しい若手選手の名も含まれている。特別指定枠の星川開聖、U22選手として登録される石川裕大など、将来の主力候補も順調に育成されており、チームの若返りと強化が同時に進んでいる。

このように、経験豊富なベテラン勢と勢いのある若手が共存する体制は、宇都宮ブレックスの強さの源である。

2025-26シーズン契約継続選手一覧

  • #0 田臥勇太
  • #6 比江島慎
  • #7 小川敦也
  • #9 遠藤祐亮
  • #10 竹内公輔
  • #12 高島紳司
  • #13 渡邉裕規
  • #15 石川裕大(U22枠)
  • #17 星川開聖(特別指定選手プロ契約)
  • #18 鵤誠司
  • #25 D.J・ニュービル
  • #33 ギャビン・エドワーズ
  • #34 グラント・ジェレット
  • #42 アイザック・フォトゥ

未来を見据えるブレックスの戦略

ブレックスはこの発表により、選手全員の契約を一気に公表することで、ファンやスポンサーに対して来季も「変わらぬ強さ」を維持するという安心感を与えた。田臥や比江島を筆頭に、新旧の融合が進む布陣で、再びリーグの頂点を狙う。

また、アジアリーグや天皇杯など複数の大会での戦いが待つ2025-26シーズンに向け、選手のモチベーションも高い。宇都宮ブレックスが次に描くストーリーは、さらなる進化と記録更新のシーズンになるだろう。

元ドラフト1位エイトンがFA市場へ!ブレイザーズと決別し新天地を模索

元ドラフト全体1位、エイトンがFA市場に登場

2024年6月30日(現地時間29日)、ディアンドレ・エイトンが所属していたポートランド・トレイルブレイザーズとの契約をバイアウト(買い取り)で合意し、完全FA(フリーエージェント)として市場に出ることが『ESPN』によって報じられた。

この動きにより、来月27歳の誕生日を迎えるエイトンは、新たな所属先を自由に選択できる立場となる。

2018年NBAドラフト全体1位指名の実力者

エイトンは213cm・113kgのサイズを誇るセンターで、2018年のNBAドラフトにおいてフェニックス・サンズから全体1位で指名された実績を持つビッグマン。パワーとスキルのバランスに優れ、NBA入り当初から即戦力として評価されていた。

サンズでは主力としてプレーし続け、NBAファイナル進出にも大きく貢献。その後、2023年にブレイザーズへと移籍し、若手主体の再建チームの中でリーダーとしての役割を担っていた。

2024シーズンは故障に泣くも安定の成績

今シーズンのエイトンは、左ふくらはぎの肉離れによって2月中旬から長期離脱を余儀なくされ、レギュラーシーズン40試合の出場にとどまった。しかし、その40試合すべてで先発出場を果たし、以下の安定したスタッツを記録している:

  • 平均出場時間:30.2分
  • 平均得点:14.4点
  • 平均リバウンド:10.2本
  • 平均アシスト:1.6本
  • 平均ブロック:1.0本
  • FG成功率:56.6%

特筆すべきは、NBAデビューから7年連続で「平均ダブルダブル」を達成している点で、これはドワイト・ハワード以来の快挙。出場数の制限がある中でも、高いパフォーマンスを維持したことはFA市場でも高く評価されるだろう。

バイアウトにより高額契約解除、年俸約51億円

エイトンは現在、残り1年・約3555万ドル(約51億円)の契約をブレイザーズと結んでいた。しかし今回、両者合意のもとバイアウトが成立。これによりサラリーキャップの柔軟性を獲得したブレイザーズは若手中心の育成路線へと舵を切った形となる。

エイトンにとっても、プレータイムや役割、優勝争いに関与できる環境を求めてのFA入りと見られている。

ブレイザーズのセンター陣と世代交代

エイトン退団後、ポートランドには以下のビッグマンたちが控えている:

  • ドノバン・クリンガン:ルーキーながら先発へ昇格
  • ロバート・ウィリアムズ3世:リムプロテクターとして高評価
  • デュオップ・リース:インサイドのバックアップ
  • ヤン・ハンセン:中国出身のビッグマン、メンフィスからトレード加入

このラインナップからも明らかなように、ブレイザーズは世代交代を進めつつある。若手を中心とした新体制の中で、ベテランのエイトンが退団するのは自然な流れと言える。

注目のFA市場、新天地はどこに?

FA市場に名を連ねたエイトンには、即戦力センターを求める複数チームが関心を示すと予想される。特にリバウンドやペイント内での得点力、スクリーンプレーにおいて貢献度が高い彼は、優勝候補チームにとって貴重なピースとなる可能性がある。

現時点では去就先の情報は明らかになっていないが、プレーオフ常連チームやインサイドに不安を抱えるチームにとっては魅力的な補強ターゲットになることは間違いない。

2018年のドラフト全体1位として期待を背負い続けてきたディアンドレ・エイトン。次なる舞台で、彼がどのような存在感を示すのか注目が集まる。

【7月6日放送】日本生命カップ2025|男子日本代表vsオランダ代表の放送・配信・メンバー情報まとめ

日本生命カップ2025 東京大会が7月6日に開催!

2025年7月6日(日)、東京・有明アリーナで男子バスケットボール日本代表と男子オランダ代表による国際強化試合が開催される。この試合は『日本生命カップ2025 東京大会』の第2戦(GAME2)にあたり、FIBAアジアカップ2025に向けた重要なステップとなる。

男子日本代表のFIBAランキングは現在21位。対戦相手であるオランダ代表は同54位と格下ながらも、国際経験の豊富なチームであり、油断はできない相手だ。試合は日本テレビ系列で全国生中継され、バスケットLIVEおよびTVerでもライブ配信が予定されている。

試合概要|日本代表 vs オランダ代表

  • 大会名:日本生命カップ2025(東京大会)
  • 日程:2025年7月6日(日)
  • 会場:有明アリーナ(東京都江東区)
  • ティップオフ:15:00
  • 中継:日本テレビ系列にて全国生中継
  • 配信:バスケットLIVE、TVerにて同時配信

強化試合の位置付けと代表の現状

本試合は、8月にサウジアラビアで開催される『FIBAアジアカップ2025』を見据えた強化試合。日本代表にとってはBリーグ2024-25シーズン終了後、初めての対外試合シリーズであり、選手選考や戦術確認の重要な機会となっている。

アジアカップ予選を4連勝で突破した日本代表は、2025年2月に行われた予選後半2試合で若手主体の構成となり、主力の佐々木隆成(三遠)がアキレス腱断裂により離脱。そのため、今回の強化試合は新戦力発掘の場としても注目されている。

男子日本代表の招集メンバー(6月21日発表)

日本バスケットボール協会は、6月21日に日本生命カップ2025に向けた直前合宿メンバー18名を発表。6月11日公表のFIBAアジアカップ候補42名から精査された布陣である。

  • ジョシュ・ホーキンソン(208cm/サンロッカーズ渋谷)
  • 馬場雄大(196cm/長崎ヴェルカ)
  • 中村太地(190cm/島根スサノオマジック)
  • 吉井裕鷹(196cm/三遠ネオフェニックス)
  • 川真田紘也(204cm/長崎ヴェルカ)
  • テーブス海(188cm/アルバルク東京)
  • 西田優大(190cm/シーホース三河)
  • 佐土原遼(192cm/名古屋)
  • 狩野富成(206cm/渋谷)
  • ハーパー・ジャン・ローレンス・ジュニア(181cm/渋谷)
  • 金近廉(196cm/千葉ジェッツ)
  • 山ノ内勇登(211cm/オーラル・ロバーツ大)
  • 山崎一渉(200cm/ノーザン・コロラド大)
  • ジェイコブス晶(203cm/フォーダム大)
  • 湧川颯斗(194cm/三遠)
  • テーブス流河(184cm/ボストン・カレッジ)
  • 川島悠翔(200cm/シアトル大)
  • 渡邉伶音(206cm/東海大学)

主力の離脱と若手の台頭

比江島慎(宇都宮)や富樫勇樹(千葉)は今回の強化試合を欠場。ホーバスHCは「コンディション調整のため休養を与えた」としており、若手主体の起用方針が鮮明となっている。特に大学所属の山ノ内勇登やジェイコブス晶といった将来性豊かな選手の抜擢は、次世代の日本代表を担う顔ぶれとなりそうだ。

テレビ放送・ネット配信情報

7月6日の試合は日本テレビ系列で全国ネットによる生中継が実施されるほか、オンライン配信としてバスケットLIVEおよびTVerでも視聴可能。スマートフォンやタブレットでも試合を楽しむことができる。

  • 地上波:日本テレビ系列(生中継)
  • ネット配信:バスケットLIVE、TVer(同時配信)

FIBAアジアカップ2025へ向けた第一歩

日本代表にとってこの試合は、アジア王者を目指すうえでの重要な一戦であると同時に、選手層の底上げとチーム力の向上を図るテストマッチでもある。国内外で注目度が高まる男子バスケットボールの勢いを、ぜひ生中継や配信で目撃してほしい。

全国の精鋭中学生が福大大濠でプロ指導を体験|88 Special Campで見えた成長の軌跡

福大大濠で全国の中学生がプロの指導を体験

2025年6月14日〜15日、福岡大学附属大濠高等学校の体育館で、中学生向けのバスケットボール育成合宿「88 Special Camp×福大大濠トロージャンズ」が開催された。この合宿は、川崎ブレイブサンダースの篠山竜青、ベルテックス静岡の橋本竜馬、そして元Bリーガーの湊谷安玲久司朱ら、1988年生まれのプロOBを中心に構成された「88 Basketball」による特別企画。全国から約100名の応募があり、その中から選抜された28名の中学生が参加した。

会場となったのは、ウィンターカップとU18日清食品トップリーグの2冠を達成した福大大濠高校の体育館。全国屈指のバスケットボール強豪校で、未来のトッププレーヤーたちが夢を育む2日間が始まった。

プロ仕様の指導が成長を加速させる

今回の合宿には篠山・橋本に加え、現役Bリーグのコーチ6名が参加。初日は実戦を意識したドリルを中心に、2日目にはビデオセッションによるフィードバックと個別課題の洗い出しが行われ、まさにプロが実践するトレーニングがそのまま提供された。

名古屋ダイヤモンドドルフィンズACの川原侑大氏は、「自分がどんな選手になりたいか、明確にイメージすることが重要」と語り、大森勇氏(トライフープ岡山HC)は「毎日の練習の質がそのまま未来に繋がる」と、積み重ねの大切さを中学生に訴えた。

実技指導の中では、篠山が「コーナーで構えて打てる準備を常にしておくこと」とポジショニングの重要性を説き、参加者たちは基礎技術の意味を実感。「どうして基礎が大切なのか分かった」といった声が多く聞かれた。

全国の仲間と切磋琢磨し見えた課題

琉球ゴールデンキングスU15に所属する川満佑絃選手は、「1on1のスキルは通用したが、ディフェンス面で課題が見つかった」と語り、自身の現状と向き合う機会となった。全国から集まった同年代の仲間との交流は、自分の現在地を知り、目指すべき未来を描くための貴重な機会でもある。

さらに、2日目の午後に行われたチーム対抗戦では、昼休みの自主練習から参加者の自発性が発揮され、試合を重ねるごとに連携の質が向上。「誰がどこのポジションか分からない中でミスが起きたが、しっかり話し合って改善できた」と語ったTokyo Samurai所属の保科天晴は、コミュニケーションの重要性を体感した。

福大大濠の「文化」も成長の糧に

この合宿では、技術や戦術だけでなく、環境づくりや人間性に触れることもできた。参加者の秋大貴(仙台89ERS U15)は、「大濠の生徒が自分たちの練習ではないのに床を拭いたり、声を出して盛り上げてくれた」と、名門校の文化を肌で感じた様子。

福大大濠の現役生でU16代表合宿にも招集された村上敬之丞は、「バスケを楽しむことが一番」と語りつつ、「チャレンジしないとチャンスもない」と参加者を鼓舞。名門が大切にする精神的な柱を、参加者にしっかりと伝えていた。

「いままで≠これから」片峯コーチの言葉

合宿を締めくくるミーティングでは、片峯聡太コーチが「いままで≠これから」という言葉を投げかけた。「これまで出来ていたことも、努力をやめれば出来なくなる。でも、今はできないことだって工夫と努力で必ずできるようになる」と参加者の背中を押した。

参加者の多くは、憧れの高校の体育館でプロやトップコーチから直接学び、同年代の仲間と本気でバスケに向き合うことで、単なるスキルアップだけでなく、自立・協調・継続といった人生に必要な要素までをも体得していった。

合宿を終えて|“体験”が未来への第一歩に

この合宿で得た学びは、単なる2日間の出来事に留まらない。実力者による指導、福大大濠という憧れの場所での実戦、全国の仲間との競争と協力——。そのすべてが参加者の内面と外面を成長させるきっかけとなった。

88 Special Camp×福大大濠トロージャンズは、中学生たちに「上手くなるとは何か」「夢に向かって何をすべきか」を問いかけ、答えを見つけるための本気の体験を提供した。将来この中から、プロの舞台で活躍する選手が現れることは想像に難くない。

小澤崚が得点王レース首位!3×3男子日本代表がプレーイン進出【FIBA 3×3ワールドカップ2025】

日本代表が2大会連続のベスト8進出を狙う!


2025年6月23日〜29日、モンゴル・ウランバートルにて開催中の「FIBA 3×3ワールドカップ2025」。男子日本代表は予選プールBで2勝2敗の成績を収め3位通過となり、6月27日(金)に開催されるプレーイントーナメント進出を決めた。

この大会で注目を集めているのが、日本のエース・小澤崚の圧倒的な得点力。予選4試合で合計46得点(平均11.5点)をマークし、得点ランキングで暫定トップに立っている。

予選プールB:強豪ひしめく中で粘りの2勝

日本はアメリカ、ラトビア、モンテネグロ、モンゴルと同組となった予選プールBで奮闘。以下が各試合の結果である。

  • 第1戦:日本 14 – 21 アメリカ(敗戦)
  • 第2戦:日本 21 – 15 モンテネグロ(勝利)
  • 第3戦:日本 14 – 21 ラトビア(敗戦)
  • 第4戦:日本 21 – 20 モンゴル(勝利)

開幕戦のアメリカ戦では小澤の2ポイントシュートが冴えたが、終盤のファウルトラブルが響き敗戦。しかしモンテネグロ戦では堅実なフリースローで初勝利を掴み取った。

ラトビア戦では高さで劣る中、最後まで粘ったが力及ばず。それでも最終戦のモンゴル戦では、小澤のフリースローが決勝点となり2勝目を奪取。合計2勝2敗で3位通過を果たした。

小澤崚が得点王レースを牽引!

今大会で最も輝きを放っているのが、日本の背番号1・小澤崚。4試合で合計46点、平均11.5点という驚異的な得点力を見せ、得点ランキングで暫定1位となっている。

彼のプレースタイルは、身体の強さとスピードに加え、2ポイントシュートの精度と、フリースローでの冷静さが際立っており、FIBAの公式SNSでもその活躍が紹介されている。

プレーイントーナメントは6月27日(金)

男子日本代表は、次戦のプレーイントーナメントに進出。ここで勝利すれば、2023年大会に続いて2大会連続のベスト8進出が決まる。

対戦相手はプールCの2位チームとなるが、現時点でのプールCは激戦模様。中国が首位を走る中、カナダ・プエルトリコ・オーストリアが1勝1敗で並び、フランスが未勝利ながら強豪として控えている。

どの国が対戦相手となっても厳しい戦いが予想されるが、小澤を中心にした現在の日本代表には大きな期待が寄せられている。

女子代表も好調なスタートを切る

一方で女子日本代表も好調なスタートを見せている。世界ランク1位のオランダを21-16で撃破し、続くチリ戦ではKO勝利と2連勝をマークした。

ただし、アメリカ戦では8-21の大差で敗戦。現在は最終戦・チェコ戦の結果次第でプールBの2位進出が決まる展開となっている。

悪天候により開始が遅れているが、勝利すれば男子と同様にプレーイントーナメントへ進出可能な状況だ。

FIBA 3×3ワールドカップ2025 概要と今後のスケジュール

  • 開催期間:2025年6月23日(日)~29日(土)
  • 開催地:モンゴル・ウランバートル
  • 6月27日:プレーイントーナメント(各プール2位 vs 3位)
  • 6月28日:準々決勝(各プール1位 vs 勝者)
  • 6月29日:準決勝、3位決定戦、決勝

まとめ:小澤崚とともに、世界の舞台で躍動する日本

FIBA 3×3ワールドカップ2025は、個人の能力が試される短時間勝負の戦い。そんな中、小澤崚の得点力と日本チームの粘り強さが光る大会となっている。

プレーインでの勝利が決まれば、世界ベスト8入りという快挙が待っている。3×3ファン、そしてバスケットボールファンにとって、目が離せない大会となりそうだ。

GL3x3でも、小澤崚のようなスーパースコアラーの登場を期待したい。

【無料開放】プレミストドームに3X3専用バスケコート「LEVANGA COURT」が誕生!予約不要で誰でも利用可能

北海道に誕生した新たなバスケ拠点「LEVANGA COURT」


2025年6月26日、北海道札幌市にある「大和ハウスプレミストドーム」敷地内に、新たな3人制バスケットボール専用コート「LEVANGA COURT(レバンガコート)」がオープンしました。運営元はプロバスケットボールクラブ「レバンガ北海道」であり、地域貢献とバスケットボール普及を目的としたプロジェクトの一環として設置されたこのコートは、無料・予約不要で誰でも利用できる画期的な公共スペースです。

コート設置の背景:「リングがない」北海道の実情

LEVANGA COURT設置の背景には、レバンガ北海道の代表取締役である折茂武彦氏の強い想いがあります。かつて現役選手としても日本を代表するシューターであった折茂氏は、北海道に来た当初、こう語っています。

「北海道に来たとき、街中や小中学校含めて、外にリングがないことに驚いた」

都市部であっても、公共の場に自由に使えるバスケットゴールが設置されていないという現実。特に3×3のようなスモールサイズのコートは設置のハードルが低いにも関わらず、地域社会にはまだまだ浸透していませんでした。こうした状況を変えるべく、レバンガ北海道は「バスケットに触れる最初のきっかけとなる場」を整備することに力を入れました。

3×3特化型の屋外バスケットボールコート

LEVANGA COURTの最大の特徴は、3×3(スリーエックススリー)専用に設計されていることです。3×3は、世界的にも急成長を遂げているバスケットボールの新形態であり、2020年の東京オリンピックでも正式種目として採用された注目の競技です。

このコートでは、FIBA公認サイズに準拠したレイアウトで、リングの高さは一般的な305cm(10フィート)を確保。3ポイントラインの設定や塗装のデザインも本格仕様となっており、競技志向のプレイヤーも満足できる環境が整っています。

無料&予約不要の「開かれたコート」

LEVANGA COURTのもう一つの大きな魅力は、誰でも自由に使えるという点です。

  • 利用料金:完全無料
  • 予約:不要(先着順)
  • 持ち込み:ボールやシューズは持参
  • 利用時間:敷地の開放時間内で随時使用可能

このようなオープンな姿勢は、公共のスポーツ施設では非常に珍しく、特に学生や子どもたちにとっては、身近に「試合感覚」を養える場所として大きな意義があります。

レバンガ北海道が目指す「地域密着型クラブ」の姿

今回のLEVANGA COURTの設置は、単なるインフラ整備にとどまりません。レバンガ北海道は、プロクラブとしての使命を「地域に根ざす存在」と定義しており、以下のようなビジョンを掲げています。

・北海道の子どもたちに夢と希望を与える存在に
・バスケットボール文化の裾野を広げるための「入口」を提供
・プロの試合観戦だけでなく「自分がプレーする」喜びも届けたい

折茂代表は、「このLEVANGA COURTには、たくさんの子どもたちが来てくれると思う。ぜひこの場でバスケットボールを楽しんでほしい」とコメントを寄せています。

LEVANGA COURTから広がる3×3文化

近年、国内でも3×3バスケットボールの注目度は急上昇しており、GL3x3をはじめとした各地のリーグ、草の根イベント、そして地域主導のコート設置が進んでいます。

LEVANGA COURTのような事例は、全国のクラブや自治体にとっても大きなヒントとなるはずです。「プロが作ったコートを無料で使える」というモデルケースは、競技人口の拡大にも直結します。

まとめ:地域とバスケをつなぐ新しい拠点

LEVANGA COURTのオープンは、単なる施設整備ではなく、「すべての人にバスケットの楽しさを届ける」というメッセージを体現したプロジェクトです。レバンガ北海道のように、プロクラブが地域とスポーツをつなぐ役割を担い、未来のプレイヤーを育てる場を作っていく──このような取り組みが、今後ますます求められる時代になっていくでしょう。

今、あなたもLEVANGA COURTで、シュート1本からバスケットの楽しさを体感してみてはいかがでしょうか?

【日本のバスケットボール史】伝来からBリーグ誕生までの歩みを徹底解説

日本におけるバスケットボールの始まり


バスケットボールが日本に初めて紹介されたのは、**1908年**のこと。国際YMCAトレーニングスクールを卒業した**大森兵蔵**が、東京YMCAで競技を披露したのが起源とされています。これがきっかけとなり、日本でも徐々にバスケットボールが認知されはじめました。

また、異説としては、1891年にアメリカで行われた世界初の試合に参加していた日本人留学生**石川源三郎**が持ち帰ったとする説も存在しますが、実際に指導や普及を行った記録は確認されていません。

本格的な普及は1910年代から

1913年、アメリカからYMCA体育主事**F.H.ブラウン**が来日。関東・関西の各地でバスケットボールの指導を行い、競技の普及に大きく貢献しました。

ただ当時の日本では、スポーツ施設や競技用具が未整備で、実技的な広がりには限界がありました。それでも各地の学校やYMCAを中心に、次第にバスケットボールは日本のスポーツ文化に浸透していきました。

学生競技連合と全国的な広がり

1924年、**早稲田大学・立教大学・東京商科大学**の3校が中心となり、「全日本学生籠球連合」を設立。これを機に全国で大学間対抗戦が開催され、学生スポーツとしての地位を確立していきます。

1930年には「**大日本籠球協会**」が設立(現在の日本バスケットボール協会=JBA)。この頃から、ルールや競技レベルの標準化、全国大会の開催などが行われるようになりました。

藤山快隆による指導書と教育への導入

1924年頃、教育者の**藤山快隆**が日本語で初の体系的なバスケットボール指導書『バスケットボール』を執筆・出版しました。この書籍は、技術・戦術・練習法のみならず、教育的意義にまで踏み込み、学校教育への導入に大きな役割を果たしました。

この時代に、バスケットボールは体育教育としても受け入れられ、全国の中学・高校で定着していく礎となったのです。

国際舞台での成果と課題

日本は国際大会でも一定の成果をあげています。特筆すべきは**1975年の女子世界選手権での準優勝**。この実績は、当時の女子バスケット界にとって大きな転機となりました。

ただしその後、日本代表はアジア大会などで苦戦が続き、**男子は1976年モントリオール五輪を最後にオリンピック出場が遠ざかる状況**が続いていました。女子代表は2004年アテネ五輪で3度目の出場を果たしましたが、男子と比べても課題の多い時代が続いていたのです。

プロリーグの誕生と分裂時代

2005年、日本初の男子プロリーグとして**bjリーグ**が誕生します。地方を中心に展開されたこのリーグは、新しいファン層の獲得には成功したものの、既存の**JBL(のちのNBL)**との並立体制により、日本の男子バスケット界は分裂状態が続いていました。

この分裂は、強化・育成・マーケティングなどの側面で日本バスケ全体の競争力を低下させる要因となっていました。

FIBAからの資格停止処分と改革の転機

2014年11月、日本バスケットボール協会(JBA)はFIBAから以下の理由により、**国際試合出場停止処分**を受ける事態に陥ります。

– 国内男子トップリーグの統合が未達
– ガバナンス体制に問題
– 日本代表の長期的強化策の欠如

この勧告により、JBAは急速に組織改革に着手。2015年6月にはFIBAの理事会により、**資格停止処分が正式に解除**され、日本は再び国際舞台に戻る道を開かれました。

Bリーグの誕生と新時代の幕開け

この改革の一環として、2016年9月、JBL/NBLとbjリーグが統合され、**「ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)」**が発足。これが現在の日本バスケの基盤となる男子トップリーグです。

– **1部(B1)・2部(B2)・3部(B3)**の三部制
– 全国規模でクラブが設立・運営
– 地域密着型マーケティングとアリーナ整備が進行中

Bリーグはわずか数年で観客動員や視聴率を大きく伸ばし、**国内スポーツ界の中でも注目のプロリーグ**へと成長しています。

まとめ:教育からプロへ、日本のバスケは今なお進化中

バスケットボールは、日本ではYMCAの体育教育から始まり、学校教育・大学競技を経て、現在ではプロスポーツとしての地位を確立しています。

FIBAとの軋轢や分裂リーグ時代を乗り越え、Bリーグの発足によって、**日本のバスケットボールは今まさに再成長のフェーズ**を迎えています。今後は男女代表の強化、育成年代の整備、3×3の普及など、さらなる進化が期待されます。

【バスケットボールの世界的発展史】FIBA設立からNBA・ドリームチームまでの進化を解説

バスケットボールの発展:誕生から世界的スポーツへ


1891年にカナダ出身のジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールは、誕生当初から高い人気を誇り、瞬く間にアメリカ全土へと広まりました。女子競技の導入やYMCAを通じた国際的な拡散により、バスケットボールは単なる学校体育の一環にとどまらず、**世界的な競技スポーツ**へと発展を遂げていきます。

女子バスケットボールの始まりと国際的拡大

バスケットボールが誕生して間もなく、スミス大学の体育教師**センダ・ベレンソン**が女子版のバスケットボールを考案し、女性にも競技の門戸が開かれました。

一方、YMCAのネットワークによってこの競技は**世界各国へ瞬く間に拡散**。1890年代のうちにアジア、ヨーロッパ、南米でも導入されるなど、バスケットボールは国際的な広がりを見せ始めます。

オリンピックへの導入とFIBAの結成

1904年の**セントルイスオリンピック**では、バスケットボールが初めて「公開競技(デモンストレーションスポーツ)」として実施され、世界的注目を集めました。その後、競技としての成熟と国際的広がりを背景に、1932年6月には**国際バスケットボール連盟(FIBA)**が設立されました。

– **1936年ベルリン五輪**:男子バスケットボールが正式種目に
– **1976年モントリオール五輪**:女子バスケットボールも正式採用

このように、FIBAの結成と五輪正式種目化は、バスケットボールの国際競技としての地位を確固たるものにしました。

NBA誕生とプロリーグの発展

バスケットボールのもう一つの大きな転換点は、**アメリカでのプロリーグ創設**でした。

– **1946年**:BAA(バスケットボール・アソシエーション・オブ・アメリカ)創設
– **1949年**:BAAがNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)と合併し、現在の**NBA**が誕生

このNBAはその後、アメリカ国内外のスター選手を多数輩出し、世界最高峰のプロバスケットボールリーグへと成長しました。

ABAとの対立と統合:リーグ競争時代

1967年には、NBAに対抗する形で**ABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)**が誕生。ド派手なプレーや3ポイントシュートの導入で注目を集めましたが、1976年に財政難からリーグは解散。4チームがNBAに吸収され、プロバスケは再び1リーグ体制へと戻りました。

この時代を経て、NBAはリーグのマーケティング力・競技レベルともに飛躍的に向上していきます。

ドリームチーム:NBAスターが五輪を席巻

1992年のバルセロナオリンピックでは、NBA選手の五輪出場が初めて解禁され、**マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード**らが名を連ねた「**ドリームチーム**」が結成されました。

このチームは圧倒的な強さで金メダルを獲得し、世界中のファンに衝撃を与えました。ドリームチームの登場は、バスケットボールの**国際化とグローバルマーケット展開**の起点となり、NBA人気を地球規模に押し上げる要因ともなりました。

WNBAの創設と女子バスケの成長

男子のNBAに続き、**1996年には女子プロバスケットボールリーグWNBA**が創設されました。**シェリル・スウープス、リサ・レスリー、ローレン・ジャクソン**といったスター選手の活躍により、女子バスケもプロスポーツとしての地位を確立しています。

現在ではWNBAも国際的に注目されるリーグとなり、世界各国から選手が参戦しています。

FIBA加盟国と世界競技人口の急増

バスケットボールの世界的拡大を象徴するデータとして、以下のような数字が挙げられます:

– **1998年時点で世界の競技人口:約4億5000万人**(FIBA発表)
– **2006年8月時点のFIBA加盟国・地域数:213**

この広がりは、テレビ放送・インターネット・SNSを通じたNBAの影響力、オリンピックやFIBAワールドカップの露出増などが後押ししています。

まとめ:競技としても文化としても成長したバスケットボール

バスケットボールは、YMCAから生まれた教育的スポーツとして始まり、今では**五輪正式種目、世界最大のプロリーグ(NBA)、男女のプロ化、そして世界200以上の国と地域への普及**という驚異的な発展を遂げました。

「見るスポーツ」「するスポーツ」としての二面性を持ち、ドリームチームのような象徴的瞬間を経て、バスケットボールは**スポーツ文化そのもの**として、今も進化を続けています。

【バスケットボールの誕生】ネイスミスが生んだ世界的スポーツの起源と進化の歴史

バスケットボールは“創られたスポーツ”だった


多くのスポーツは自然発生的に進化してきましたが、バスケットボールは珍しく**一人の人物が明確に考案したスポーツ**です。その人物こそ、カナダ出身の体育教師**ジェームズ・ネイスミス(James Naismith)**です。

バスケットボールは、1891年にアメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドの**国際YMCAトレーニングスクール**(現:スプリングフィールド・カレッジ)で生まれました。ネイスミスが定めた13のルールは、現在のバスケットボールの原型となり、今日に至るまでルールは約250にまで進化しています。

新競技創設の背景:冬の体育授業の課題から

当時のYMCA各校では、冬季に行われる体育授業が体操中心で退屈とされ、生徒の意欲低下が課題となっていました。これに対応するため、**競技性とレクリエーション性を併せ持つ新しいスポーツ**が求められました。

その結果、体育部主事L.H.ギューリックの下、ネイスミスを含む5名の体育教官が検討を重ねた末、「新たな屋内スポーツを創り出す」ことが決定されたのです。

ネイスミスは既存のアメリカンフットボール、サッカー、ラクロスなどを試しましたが、屋内では適さないと判断。そこで彼は、**安全性・チームプレー・目標物へのシュート**といった要素を抽出し、新しいルールを構築しました。

「雄鴨落し」から着想を得たゴールの位置

ネイスミスが着想を得たのは、カナダ・オンタリオ州で子どもたちが遊んでいた「**Duck on a Rock(雄鴨落し)**」という遊び。これは鬼ごっこと的当てを組み合わせたようなゲームで、これにヒントを得て、**ゴールを頭上に設置する**という画期的なアイデアを思いつきました。

こうして、安全性の高い屋内競技として、ボールを保持したまま走ることは禁止、接触プレーは極力排除、そして頭上に設置されたゴールをめがけて得点するという構造が完成しました。

世界初の試合は桃の籠を使って行われた

1891年12月21日、ネイスミスのルールに基づいた**初のバスケットボールの試合**が実施されました。18人の生徒が9人ずつに分かれ、使用したボールはサッカーボール。そしてゴールには、**桃を入れるための籠(バスケット)**が体育館のバルコニーに取り付けられました。

– ゴールの高さは305cm(10フィート)
– コートの広さは約11m×15m
– 最初の得点はW.R.チェイスのシュート
– 試合の様子は日本人留学生・石川源三郎がスケッチに残した

ネイスミスと学生フランク・マーンの会話の中で、桃籠(Basket)を使ったことから「**Basket ball**」と命名されました。1892年にはYMCAの広報誌『ザ・トライアングル』に紹介され、正式に「Basket ball」として定着。1921年に「Basketball」と1語表記へ統一されました。

プレイヤー人数:当初は無制限だった

ネイスミスは、競技を**レクリエーション向け**と捉えていたため、当初はプレイヤー人数に関する制限を設けていませんでした。実際、コーネル大学では**50対50**という大規模な試合が行われ、あまりの混乱ぶりに「体育館が破壊されるのでは」と懸念されたエピソードもあります。

その後、1894年にプレイヤー人数はコート面積に応じて5人、7人、9人と定められ、1897年に現在と同じ**5対5制**に統一されました。

ゴールの形状変遷と現在のネット形式へ

最初は桃の籠だったバスケットのゴールも、利便性の観点からすぐに改良が進みました。

– 初期は得点ごとに棒や梯子でボールを取り出す必要があった
– 破損防止のため、**金属製の円筒形ゴール**へ変更
– 1912~1913年頃に、**底のないネット状のリング**が登場
– ゴールの内径45cm(18インチ)は最初の試合から変わっていない

現在では、底が開いているネットによりボールがスムーズに通過し、試合のテンポを維持しています。

バックボードの導入と進化

バスケットボール人気の高まりにより、体育館では観客がゴール付近の手すりから手足を伸ばして**プレーを妨害する事態**が発生。それを防ぐために導入されたのが、ゴール背面の**バックボード**でした。

– 当初は**金網**だったが、1904年に**木板**へ変更
– 視界確保のため、**透明プラスチック板**が導入される
– バックボードはエンドラインからコート内側61cmへ配置移動

このように、観客と選手双方の安全と視認性を確保するために、設備も進化を重ねてきました。

まとめ:ネイスミスのビジョンが世界に広がった

ジェームズ・ネイスミスの発想から生まれたバスケットボールは、**単なる屋内運動の一環ではなく、世界的スポーツ**へと成長しました。初期の簡素なルールや道具は、時代とともに洗練され、現代ではプロリーグやオリンピック競技として世界中で愛されています。

「ボールを使った屋内レクリエーション」という初心を保ちつつ、戦略性・スピード・身体能力のすべてが求められるスポーツへと進化したバスケットボール。ネイスミスが創造したこの競技は、今もなお、無数のプレイヤーとファンを魅了し続けています。