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落合知也が歩んだ唯一無二のキャリア──モデル志望から3×3日本代表、そして球団社長へ

唯一無二のキャリアを歩む男、落合知也


3×3バスケットボール界において、落合知也という名は特別な意味を持つ。東京都出身、身長195cm、体重95kgというフィジカルを持ち、フォワード兼センターとして日本代表のユニフォームに袖を通してきた落合は、プレイヤーとしての実力だけでなく、異色のキャリアでも知られている。

大学卒業後、一度はプロバスケットボールから離れ、モデルを目指すという異例の選択をした落合。しかしストリートバスケ「UNDERDOG」に誘われたことがきっかけで再びコートへ戻り、その後は3×3を主戦場として日本のトップへと駆け上がった。

法政大学で準優勝、しかしプロ入りはせず「モデルの道」へ


高校は全国強豪の土浦日本大学高校に進学。その後、法政大学に進学し、2007年のインカレで準優勝。U-24日本代表候補にも選出される実力を持ちながらも、卒業後はプロではなくモデルを目指して活動。ウェイターや営業職を経験しながらも、夢を追い続けていたという異色の背景がある。

この経験は「唯一無二」という落合の座右の銘にも通じるものがあり、彼のメンタルや価値観に深く影響を与えた。

3×3との出会い、そして世界へ──UNDERDOGから代表へ

3×3との出会いは、ストリートボールチーム「UNDERDOG」への加入から始まる。2010年から2013年にかけては、『ALLDAY』『Somecity』といったストリート大会で数多くの優勝を重ね、QUAI54(パリ)、3×3 Pacific Open(ウラジオストク)、LIGHT CITY LEAGUE(上海)と、国際的な舞台にも参戦。

とりわけ印象的なのは、2013年の「FIBA 3×3ワールドツアーマスターズ東京大会」で2位を獲得し、FIBAオールスターに選出されたことである。ここから、彼の名は国内外の3×3界で知られるようになった。

日本代表として、世界と戦う


2014年には3×3日本代表に初選出。翌年には3×3.EXE PREMIERで優勝&MVPを獲得し、2016年のFIBAワールドカップでは日本代表としてロシア、中国を破り、初の2勝を記録した。

2018年にはFIBAアジア3×3カップで日本男子初となる銅メダルを獲得。東京オリンピックでは日本代表として全試合に出場し、予選リーグ突破から準々決勝進出と、世界の舞台でもインパクトを残した。

5人制復帰と“二刀流”の挑戦

3×3に専念していた落合だが、プロ5人制のキャリアも見逃せない。2013年にNBDL(現B3)・大塚商会アルファーズでプロキャリアをスタート。2015-16シーズンにはリーグベスト5に選出されるなど、結果を残す。

その後、B1のリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)へ移籍し、2016-17シーズンの優勝メンバーにも名を連ねた。越谷アルファーズでも長く在籍し、2023年までプレー。再び3×3専念を表明し、次なるステージへ進む。

しながわシティで新たな挑戦──選手兼球団社長

2024年、しながわシティバスケットボールクラブとSHINAGAWA CITY.EXEの設立に合わせ、落合は選手兼球団社長に就任。この動きは日本バスケットボール界においても非常に珍しく、選手がマネジメントと競技の両方に関わる新時代の象徴と言える。

2025年シーズンには、B3で51試合に出場し平均5.59得点、2.94リバウンド、3P成功率34.9%という安定した数字を記録。B3の日本人選手としてリバウンドランキング3位にも名を連ねている。

プレイスタイルと人間性

落合のプレイスタイルは、ミスマッチを活かすポストアップと、外国籍選手とのフィジカルなマッチアップを得意とする「3ビッグ」システムに適応する点に特徴がある。高身長に加え、フィジカル・判断力・リーダーシップに優れた万能型プレイヤーといえる。

また、目標とする人物にイチローを挙げるなど、独自の信念とストイックさを持ち合わせている。好きな音楽はHIPHOP、人生のモットーは「唯一無二」。彼が多くの若手選手から尊敬を集める理由は、こうした人間性にもある。

未来へ──GL3x3と落合知也の交差点

GL3x3が目指す「エンターテインメント×競技性」というコンセプトにおいて、落合知也はまさに象徴的な存在となり得る。モデル・プロ選手・球団社長と、あらゆる経験を積んだ彼が、GL3x3のような新興リーグにおいて担う役割は計り知れない。

実際、2025年のGL3x3イベントにおいて、しながわシティからの選手派遣やMC演出の協力など、様々な連携が予定されており、今後の展開が注目される。

まとめ|「唯一無二」の挑戦を続ける理由

落合知也のキャリアは、常識を覆し続けてきた軌跡そのものである。3×3という競技の可能性を切り開いた第一人者であり、今なお進化し続ける存在だ。

若手プレイヤーにとって彼の存在は「道しるべ」であり、GL3x3にとっても、彼の経験と哲学は欠かせない要素だ。バスケとエンタメの融合という新たな地平で、落合知也はこれからも唯一無二の存在として走り続けるだろう。

富樫勇樹(Bリーグの顔・キャリアと進化を徹底解説!日本代表PGの軌跡と未来)

富樫勇樹とは?—小さな体に秘めた日本バスケ界の司令塔

1993年7月30日、新潟県新発田市に生まれた富樫勇樹は、日本バスケットボール界を代表するポイントガード(PG)として、長年にわたりその名を轟かせてきました。身長167cmという小柄な体格ながら、精密なパス、抜群のスピード、そして高精度のアウトサイドシュートを武器に、国内外での実績を積み上げています。現在はBリーグ・千葉ジェッツふなばしに所属し、日本代表でも不動の主将としてチームを牽引しています。

幼少期から高校時代—アメリカで鍛えた“世界基準”のスキル

小学生時代からバスケに親しみ、中学では全国大会優勝の実績を持つ富樫は、15歳でアメリカ留学を決意。メリーランド州の名門「モントローズ・クリスチャン高校」に進学し、NBA選手を多数輩出する環境で技術を磨きました。高校卒業後は大学進学の道を選ばず、プロ選手としてのキャリアをスタートします。

秋田でのプロデビュー—bjリーグで開花した才能

2012-13シーズン、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団。デビュー戦でダブルダブルを達成するなど、即戦力として注目されました。2013-14シーズンにはアシスト王とベストファイブに選出。プレーオフ進出にも大きく貢献し、国内トップレベルのポイントガードとしての地位を確立しました。

アメリカ挑戦—NBAサマーリーグで沸かせた“小さな侍”

2014年にはダラス・マーベリックスのNBAサマーリーグに出場。11分間で12得点を挙げ、現地メディアにも取り上げられました。その後、NBA下部組織のテキサス・レジェンズに所属。25試合に出場しましたが、度重なるケガによりアメリカでのプレーは一時終了します。

千葉ジェッツ時代—国内最強PGとしての地位を不動に

2015年、NBLの千葉ジェッツ(現・Bリーグ)と契約。2016年のBリーグ発足後は、初代オールスターMVPやMVP(2019年)、アシスト王、月間MVPなど数多くのタイトルを獲得しました。2023-24シーズンには東アジアスーパーリーグで優勝し、自身もMVPを受賞しています。

日本代表としての活躍—東京五輪、そしてパリへ

富樫は2011年以降、継続的に日本代表に選出され、2021年の東京五輪では主将を務めました。2023年FIBAワールドカップでは、日本をアジア1位に導き、パリ五輪の出場権を獲得。精神的支柱としてもチームを支え続けています。

身長167cmの奇跡—技術と意志が生むプレースタイル

低身長というハンディキャップを克服するため、富樫はスピードと判断力を磨き抜きました。的確なピック&ロール、スクープショット、そして3ポイントシュートなど、多彩なスキルを駆使して攻撃を演出。守備でも屈強な外国人選手に対抗するための筋力強化を重ね、Bリーグでの最多3P成功数・アシスト数記録を更新し続けています。

これまでの栄光—記録と受賞歴の数々

  • BリーグMVP(2019)
  • Bリーグベストファイブ8回(2017〜2024)
  • Bリーグオールスター選出9回(2017〜2025)
  • 東アジアスーパーリーグMVP(2024)
  • 天皇杯MVP3回(第94、98、99回)
  • 日本人初のBリーグ1億円プレーヤー(2019)
  • 通算3P成功数・アシスト数でBリーグ最多記録保持

今後の展望—日本バスケをけん引する象徴

31歳を迎えた今もなお進化を続ける富樫勇樹。若手の台頭が続くBリーグにおいて、そのプレースタイルは次世代選手たちに大きな影響を与えています。彼のリーダーシップと経験は、国内外問わず日本バスケットボール界のさらなる飛躍に欠かせない存在です。今後の代表活動やクラブでの活躍に注目が集まっています。