三遠ネオフェニックスの象徴、太田敦也が現役引退を発表
B1リーグの三遠ネオフェニックスは、2025年6月27日、ベテランセンター・太田敦也が2024−25シーズン限りで現役を引退すると発表しました。長年にわたりクラブ一筋でプレーしてきた太田は、国内屈指のインサイドプレイヤーとして数々の実績を残し、41歳の節目にそのキャリアに幕を下ろす決断を下しました。
206cmの長身センター、18年間のプロキャリア
愛知県出身の太田敦也は、1983年6月4日生まれの41歳。身長206cm、体重113kgの堂々たる体格を誇るセンターです。市立柏高校、日本大学を経て、2007−08シーズンにオーエスジーフェニックス東三河(現・三遠ネオフェニックス)に加入。以降18シーズンにわたり、同一クラブでプレーし続けてきました。
在籍中にはbjリーグ、Bリーグの両リーグを経験し、クラブの象徴的存在として君臨。2011年にはFIBAアジア選手権に出場し、日本代表としても活躍しました。長きにわたってインサイドの要としてチームを支え続け、その存在感はファンの間でも特別なものとなっていました。
日本代表としての誇りと責任
太田はクラブだけでなく、代表活動でも重要な役割を果たしてきました。2010年代には日本代表の常連メンバーとして数多くの国際大会に出場。夢であったオリンピックの舞台には届かなかったものの、アジア予選などの大一番でユニフォームをまとい、国を背負って戦った経験は、彼にとってかけがえのない時間となりました。
代表からクラブへ戻ってきた際には、「自分が引っ張っていかなければ」という自覚と責任感が強まり、プレー以外でも精神的支柱としての役割を果たしていきました。
チームの浮き沈みとともに歩んだキャリア
長いキャリアの中では、順風満帆な時期ばかりではありませんでした。若手時代は試合にほとんど出られず、1年目は数試合の出場にとどまりました。2年目のbjリーグ参入をきっかけに出場機会が増えたものの、当時の中村監督の下でのハードなトレーニングと指導に苦しんだ日々もありました。
しかし、その経験が土台を築き、徐々にコート上での存在感を発揮。3度のbjリーグ優勝に貢献するなど、クラブにとって欠かせない選手として成長していきました。特にインサイドでのボックスアウトやスクリーンプレー、堅実なディフェンス力は長年にわたって評価されてきました。
近年の役割は「メンター」としての存在
近年は出場時間が減少し、2024−25シーズンのリーグ戦では24試合の出場にとどまりました。それでも、ロッカールームでの影響力や若手選手への助言、日常の姿勢など、太田の存在は「メンター」としてチームにとって大きな支えとなっていました。
B1リーグ通算では、440試合に出場し、2083得点、1229リバウンド、103ブロックを記録。数字が物語るように、長期間にわたる安定したプレーでチームを支え続けてきました。
22連勝、セミファイナル進出…最後のシーズンに刻んだ軌跡
2024−25シーズン、三遠ネオフェニックスはB1リーグ中地区で22連勝を達成し、セミファイナル進出という快挙を成し遂げました。チームとしては過去最高とも言える結果を残した一方で、太田自身は「求められる役割に応えられなかった」と自らを省みるコメントも残しています。
それでも、チームが勝ち進む姿を最前線で見守り、ベンチから大きな声を張り続けた姿は、多くのファンの記憶に残ることでしょう。
感謝を込めたラストメッセージ:「みんながあっての自分」
クラブ公式サイトを通じて、太田は長文のコメントを発表。18年間の歩みを振り返る中で、厳しかった若手時代やbjリーグ優勝、日本代表での経験、チームの低迷期、そして最後の大躍進に至るまで、自身の成長と周囲への感謝を率直に語りました。
特に、支えてくれた家族、妻への感謝の言葉を強く表現しており、「子育ての最中も背中を押してくれた妻がいたからこそ、ここまで来られた」と胸の内を明かしています。
「この私、太田敦也を18年間応援してくださり、本当にありがとうございました。『みんながあっての自分』という言葉を胸に、これからも前に進んでいきます。三遠ネオフェニックスを今後とも応援よろしくお願いします」
太田敦也の“その後”にも注目が集まる
今後、指導者としての道を歩むのか、バスケットボール界の別の形で貢献していくのか、現時点では明かされていません。しかし、18年間クラブとともに戦い、ファンに夢と感動を与えてきた太田敦也の新たなチャレンジに、多くの人が期待を寄せています。
太田の現役引退は一つの時代の終わりを示すと同時に、新たなスタートでもあります。その誠実な姿勢とリーダーシップは、今後もバスケ界で受け継がれていくことでしょう。