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【元Bリーガー秋山皓太】Wリーグ新規参入SMBC TOKYO SOLUAのアシスタントコーチに就任!

元Bリーガー秋山皓太、Wリーグ新興チームのコーチに就任

2025年7月2日、女子バスケットボール界に新たなニュースが届いた。2025-26シーズンからWリーグに新規参入する「SMBC TOKYO SOLUA」は、昨シーズン限りで現役を引退した秋山皓太氏(28歳)をアシスタントコーチ(AC)として迎え入れることを発表した。

秋山氏は、男子Bリーグでのキャリアを終えた直後に新たなステージへと進む決断を下し、女子トップリーグであるWリーグの新チームで指導者としての一歩を踏み出すことになった。

秋山皓太の経歴|名門を渡り歩いたバスケ人生

新潟県新発田市出身の秋山氏は、地元の新発田市立本丸中学校から、全国屈指の強豪として知られる福岡第一高校に進学。そこでの活躍を経て、東海大学でもプレーし、大学バスケ界での経験を積んだ。

プロとしてのキャリアは、2018-19シーズンに金沢武士団で特別指定選手としてスタート。翌シーズンの2019-20には横浜ビー・コルセアーズに加入し、B1デビューを果たした。その後、京都ハンナリーズにも在籍したが、2021-22シーズンは大ケガの影響で出場は叶わなかった。

しかし、それでもバスケットボールへの情熱を失わなかった秋山氏は、2022-2025年の3シーズンにわたり、B3リーグの立川ダイスでシューティングガードとしてチームを支えた。

2025年6月に現役引退を表明

長年のプロ生活に区切りをつけたのは2025年6月2日。立川ダイスを通じて正式に現役引退を発表し、多くのファンや関係者から感謝と労いの声が寄せられた。

28歳という若さでの引退は惜しまれる声もあったが、彼のキャリアは単なる終わりではなく、新たなスタートの始まりでもあった。

Wリーグ新規参入のSMBC TOKYO SOLUAとは?

SMBC TOKYO SOLUAは、2025–26シーズンからWリーグに参入する新設のクラブ。大手金融グループSMBC(株式会社三井住友銀行)がバックアップするプロジェクトで、東京都を拠点に女子バスケットボールの新たな潮流を作ろうとしている。

クラブは単なる成績追求だけでなく、地域貢献や女性アスリートの社会的地位向上といったビジョンを掲げており、今回の秋山氏の就任もその理念に基づくチーム作りの一環とみられている。

秋山皓太氏のコメント全文|コーチとしての決意

今回のアシスタントコーチ就任にあたり、秋山氏は次のようなコメントを発表している。

「この度、SMBC TOKYO SOLUAに入団いたしました秋山皓太です。素晴らしいご縁に恵まれ、このたびSMBC TOKYO SOLUAの一員として携わらせていただくことになり、本当に感謝しております。チームの勝利に貢献できるよう、HCを全力でサポートするとともに、選手たちが自分の可能性に挑戦できるようなきっかけづくりや支えになれるよう努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします」

現役時代に培った経験と情熱を、新しいチームでどのように発揮していくか、今後の手腕に大きな期待が集まっている。

男子から女子へ|異なる舞台での挑戦

男子プロバスケ出身の秋山氏が女子リーグのコーチを務めることは、バスケ界でも注目されているキャリアチェンジのひとつ。競技レベルや戦術、選手との関係性など、多くの点で新しい学びが待っているだろう。

しかし、学生時代から強豪で鍛えられ、プロとしても複数のカテゴリーを経験してきた秋山氏なら、その柔軟な視野と対応力を活かし、指導者としても成長していくことが期待される。

今後の課題と展望

SMBC TOKYO SOLUAはまだ誕生したばかりのチームであり、組織体制の整備や選手の育成、ファン獲得といった課題が山積している。そんな中で秋山氏のように現場経験が豊富な人材の存在は、非常に貴重である。

ヘッドコーチ(HC)との連携やチーム戦術の構築、選手へのメンタルサポートなど、多くの役割が求められるアシスタントコーチとして、彼の働きが今後のチームの方向性を左右するかもしれない。

まとめ|新たな挑戦に立ち向かう28歳

28歳という若さでプロ選手としての道を終え、すぐに新たな道へと進んだ秋山皓太氏。その決断と行動力には、多くのバスケットボール関係者が注目している。

SMBC TOKYO SOLUAでの挑戦は始まったばかりだが、その一歩一歩が未来の指導者像を形作ることになるだろう。今後の活躍から目が離せない。

神戸ストークスの中西良太が現役引退を発表|14年のキャリアに幕、新たな役割でバスケ界に貢献へ

神戸ストークス・中西良太が現役引退を発表


2025年6月27日、B2リーグの神戸ストークスは、ベテランパワーフォワード中西良太が2024−25シーズンをもって現役を引退することを正式に発表しました。地元・兵庫県出身で長年にわたって国内バスケットボール界に貢献してきた中西は、引退後もクラブに留まり、「神戸ストークス クラブ エバンジェリスト」として地域貢献や広報活動を通じて新たなステージへと歩みを進めます。

202センチ110キロのインサイドプレイヤー|中西良太のキャリア概要


中西良太選手は1989年生まれの兵庫県出身。身長202センチ、体重110キロと恵まれた体格を生かして、長年インサイドを主戦場とするパワーフォワードとしてプレーしました。プロキャリアは2011−12シーズン、NBDL(日本バスケットボールリーグ開発リーグ)のTGI・Dライズからスタート。その後、2012年に地元の兵庫ストークス(現・神戸ストークス)へ加入し、本格的にプロとしての地歩を固めていきました。

その後は熊本ヴォルターズや佐賀バルーナーズといった複数クラブでも経験を重ね、2021年からは古巣である神戸(旧西宮)に復帰。神戸での復帰後も豊富な経験を活かし、ベンチからチームを支える重要なロールプレーヤーとして活躍してきました。

通算433試合出場|B2リーグでの輝かしい実績

中西はプロキャリア通算でB2リーグ公式戦433試合に出場。その間に記録したスタッツは以下の通りです:

  • 通算得点:3,398点
  • 通算リバウンド:1,713本
  • 通算アシスト:402本
  • 通算ブロック:177本

特にインサイドでの身体を張った守備やスクリーン、リバウンドでの貢献が光り、スコアに現れない部分でもチームにとってかけがえのない存在でした。2024−25シーズンも48試合に出場し、平均2.5得点、2.1リバウンドを記録。36歳という年齢ながらも献身的なプレーでチームに貢献し続けてきました。

引退のメッセージに込めた想い|感謝と新たな決意

クラブ公式サイトを通じて中西は次のようにコメントを発表しました:

この度、プロバスケットボール選手としての現役生活に区切りをつけ、引退する決断をいたしました。14年間という長いようであっという間の時間の中で、数えきれないほどの経験と学び、そして何よりも多くの方々との出会いに恵まれました。ここまで続けてこられたのは、いつも温かく支えてくださったブースターの皆さま、チームメート、指導者の方々、そしてなにより家族のおかげです。心から感謝申し上げます。

14年にわたるプロキャリアを振り返りながら、これまで支えてくれた人々への感謝の言葉を丁寧に綴りました。また、セカンドキャリアに向けても前向きな姿勢を見せています。

引退後は「クラブ エバンジェリスト」として新たな役割へ


現役を退いた中西は、今後「神戸ストークス クラブ エバンジェリスト」として活動していくことが決まっています。この役職は、クラブと地域、そしてバスケットボール界を繋ぐ広報的な役割を担うポジションで、選手時代に築いてきた人脈と信頼を活かし、地域社会とクラブの架け橋となることが期待されています。

本人も「バスケットボールを通して得たすべてを次に活かしていきたい」と語っており、競技人生の経験を社会に還元する新たなキャリアへと踏み出します。

Bリーグ初期からの功労者として|地方クラブを支えた功績

中西良太は、Bリーグ発足以前から地域クラブを支えてきた“草の根プロ選手”の代表格とも言える存在です。スター選手の陰でチームを支えるロールプレーヤーの価値は、特に地域密着型のBリーグでは欠かせない存在であり、中西はその模範的な選手の一人でした。

試合中のプレーのみならず、地域イベントや学校訪問などの活動にも積極的に参加し、地元ファンとの信頼関係を築き上げてきた功績は大きく、神戸ストークスにおける“顔”の一人として認識されてきました。

今後に寄せられる期待とエール

今後、中西が神戸ストークスのクラブエバンジェリストとして果たす役割には多くの期待が集まります。選手としての14年にわたる経験と、バスケに対する誠実な姿勢は、次の世代にとっても大きな刺激となるでしょう。

現役引退は一つの節目にすぎず、彼の挑戦は新たなフィールドでこれからも続いていきます。ファンからも「ありがとう」「第2の人生も頑張ってください」といった温かいエールが多く寄せられており、その人望の厚さが伺えます。

まとめ|14年間のキャリアに感謝と敬意を

神戸ストークスの中西良太選手は、14年間のプロキャリアを通じて多くの人々に感動を届けてきました。バスケットボールという競技を通じて、選手として、そして地域の一員として、常に全力で向き合ってきたその姿勢は、今後も多くの人の記憶に残り続けることでしょう。

第二の人生での活躍にも期待が高まる中、これまでの功績に対して改めて敬意を表するとともに、「お疲れさまでした、そしてこれからもよろしくお願いします」というメッセージを贈りたいと思います。

【引退速報】ユーロリーグの歴代最多スコアラー、ヴァシリス・スパノウリスが現役生活に幕

スパノウリス引退:ヨーロッパが讃える伝説の背番号

2021年6月、ギリシャ出身のバスケットボール界の巨星、ヴァシリス・スパノウリスが現役生活にピリオドを打った。欧州バスケファンの間では「Kill Bill」の異名で親しまれ、その名はユーロリーグを筆頭に国際舞台で語り継がれている。彼の引退発表はギリシャ国内のみならず、欧州全体を大きく揺るがすニュースとなった。

21年間のプロキャリアを締めくくった彼は、戦術眼、リーダーシップ、そして卓越したスキルで数々のクラブと代表チームを牽引してきた。その象徴的な活躍ぶりから「フロア上の監督」とも称されており、後進のロールモデルとしても強い影響力を誇っている。

ラリサの少年が掴んだ欧州最高峰の舞台

1982年にギリシャ・ラリサで生まれたスパノウリスは、地元クラブであるラーリサBCでキャリアをスタートさせた。10代半ばから非凡なセンスを発揮し、ギリシャ国内の注目株として急成長。やがて2001年にはアマリリオスBC、そしてギリシャの名門パナシナイコスへとステップアップし、その才能を本格的に開花させていく。

当時のギリシャリーグは、ユーロリーグ上位を争うクラブが多数所属する“欧州バスケの心臓部”。そこでスパノウリスは着実にスキルを磨き、ゲームメイク能力と冷静な判断力を武器に存在感を増していった。

NBAでの挑戦と“未完の武者修行”

2006年、ヨーロッパでの評価を確立していたスパノウリスは、ヒューストン・ロケッツとの契約によりNBAへ進出。彼の年俸は当時としては異例の200万ドル。だが、アメリカのバスケットは決して彼にとって“楽園”ではなかった。

NBA特有のフィジカル重視のスタイル、短いプレータイム、言語や文化の壁——。彼のNBAでの平均スタッツは2.7得点・0.9アシストにとどまり、思うような結果は残せなかった。しかし本人は後に、「あの経験が自分をより強くした」と語っており、バスケット観の幅を広げた重要な経験であったことは間違いない。

帰還後の躍進:オリンピアコスで築いた黄金時代

2007年、ヨーロッパに戻ったスパノウリスはパナシナイコスでユーロリーグ優勝を経験したのち、2010年に最大の転機を迎える。ライバルチームであるオリンピアコスBCへ移籍。ここから彼の“第二章”が始まった。

2012年・2013年・2017年のユーロリーグ制覇、ギリシャリーグ複数回制覇、ユーロリーグファイナル4 MVPに3度輝くなど、まさにクラブ史に残る伝説的な活躍を見せた。特に2012年のユーロリーグ決勝におけるCSKAモスクワ戦は、バスケットボール史に残る逆転劇として語り継がれている。

ユーロリーグでの輝かしい実績

スパノウリスのキャリアは、数字でも鮮やかにその偉大さを物語っている。彼のユーロリーグにおける主な記録は以下の通り:

  • 通算得点:4,445点(歴代1位)
  • 通算アシスト:1,607本(歴代1位)
  • 出場試合数:358試合(歴代2位)
  • 3ポイント成功数:518本(歴代2位)

これらの記録は、長年にわたって安定したパフォーマンスを維持し続けた証左であり、攻撃の核かつ組み立て役として両立できたスパノウリスのバスケットIQの高さを如実に示している。

国際舞台でも輝いたギリシャ代表

クラブだけでなく、スパノウリスはギリシャ代表としても黄金時代を築いた。2005年のユーロバスケットではギリシャを金メダルに導き、2006年のFIBAワールドカップではアメリカ代表を破る大金星の立役者として準優勝を飾った。

世界のトップ選手を相手にした試合でも、彼のクレバーなゲーム運びは健在。攻撃のリズムを司り、状況判断に優れたプレーで世界中のファンを魅了した。

SNSで語られた“引退の言葉”

彼は引退発表時、自身のInstagramを通じて次のようなメッセージを発信した。

バスケットボールは私にすべてを与えてくれた。これまで共に歩んできた仲間、コーチ、ファン、そして何より家族に感謝したい。オリンピアコスは私にとって人生最大の贈り物。これ以上の幸運はなかった。

この投稿は瞬く間に世界中で拡散され、彼の人間性と感謝の気持ちが多くの共感を呼んだ。

ファンと選手からの惜別の声

引退発表後、SNSでは「ギリシャの至宝」「ユーロの象徴」といった称賛のコメントがあふれ、NBAのスター選手ルカ・ドンチッチも「スパノウリスは僕のヒーロー」と発言。特にバルカン半島出身の選手たちは、彼から多くの影響を受けていたことを公言している。

彼のキャリアは、プレーだけでなく、人間性、継続力、献身性といった多面的な魅力で彩られていた。

コーチとしての“新たな挑戦”

引退からわずか1年後の2022年、スパノウリスはギリシャのペリステリBCでヘッドコーチに就任。初年度からチームに新風を吹き込み、若手選手の育成にも熱心に取り組んでいる。

現場での戦術眼とリーダーシップはそのままに、新たな立場からバスケットボール界を支える存在として再び注目を集めている。

まとめ:スパノウリスの“神話”は終わらない

ヴァシリス・スパノウリスが歩んだキャリアは、勝利と記録だけでは語り尽くせない。彼は一つのクラブを愛し抜き、一つの国の象徴となり、一つの世代を鼓舞し続けてきた。

彼が築いた軌跡は“神話”として語られ、そのスピリットはこれからもユーロリーグ、そして世界中のバスケ界に脈々と受け継がれていくだろう。