日本バスケットボール」タグアーカイブ

しながわシティバスケットボールクラブの軌跡:B3リーグでの挑戦と未来展望を徹底解説

しながわシティとは何者か:東京発、B3リーグから羽ばたくプロクラブ


東京都品川区を拠点とする「しながわシティ バスケットボールクラブ」は、B3リーグに所属するプロバスケットボールクラブであり、2025年からは3×3バスケチーム「SHINAGAWA CITY.EXE」も始動。首都・東京の一角で着実に地歩を築いてきたこのチームの歩みは、単なる地方クラブの成長にとどまらず、日本バスケット界の多様性を象徴する存在となっている。

旧称「東京サンレーヴス」として2012年に誕生して以来、10年以上にわたる波瀾の歴史を経て、地域密着型の総合型スポーツクラブへと変貌を遂げた。Bリーグ再編を経て、しながわシティとして再出発したのは2021年。この転機がクラブにもたらした変化と、3×3参入の背景には、単なる競技転向以上の意図が込められている。

創設からの道のり:bjリーグ参戦と低迷期の克服

しながわシティのルーツである「東京サンレーヴス」は、2012年にbjリーグへ新規参入した。当時のチームスローガンは「五つの夢」。地域貢献、青少年育成、産業振興、地域活性化、エンターテインメントの5本柱で活動を展開した。

しかし成績は芳しくなく、bjリーグ時代は通算勝率.197と低迷。2016年にはbjリーグ解散に伴いB3リーグへ移籍したが、成績は依然として厳しいものだった。財政難から一時リーグ退会を余儀なくされた2020年には、クラブ存続そのものが危ぶまれる事態となった。

復活とリブランディング:しながわシティ誕生の背景

2021年、フットサルチームとの統合を図る形でチーム名を「しながわシティ バスケットボールクラブ」へ変更。新社長・大栗崇司のもと、経営体制とクラブビジョンを刷新した。スローガンには「CIVIC PRIDE(市民の誇り)」が掲げられ、品川区を中心とした地域密着型クラブとしての歩みが強化された。

ホームアリーナは固定されていないが、品川区立戸越体育館を中心に東京23区各所で開催。2023年以降は代々木第二体育館やコナミ本店など、大型施設での開催も増え、地元ファンの注目を集めている。

チームの構成と注目選手:ブロック王と日本代表経験者が在籍


2024-25シーズンのロースターには、注目の選手が揃う。センターのハイデン・コヴァルはB3リーグで2年連続ブロック王(2023-24:3.10本/2024-25:3.33本)に輝いた長身ビッグマンで、歴代最高記録保持者だ。

またキャプテンを務める伊藤良太は、32歳のベテランPGでありながら、2023-24シーズンのスティール王(2.21本)と3P成功率2位(39.59%)を記録。さらに、元3×3日本代表である落合知也も2024-25シーズンから加入し、チームの経験値を大きく底上げした。

3×3チーム「SHINAGAWA CITY.EXE」始動:バスケ新時代への布石

2025年、クラブは新たに3×3チーム「SHINAGAWA CITY.EXE」を設立。FIBA公認の「3×3.EXE PREMIER」リーグへの正式参入を発表した。これは、都市型・即興型スポーツとして人気が高まる3×3バスケにおいて、品川ブランドを浸透させる狙いがある。

選手の中には5人制と兼任する者もおり、特に俊敏性やフィジカルの強さを生かしたプレースタイルが3×3にマッチする選手が揃う。しながわシティの3×3部門は、GL3x3とも連携する形で今後さらなる飛躍が期待されている。

B3での成績推移:着実な成長を続けるクラブ

2021-22シーズンはわずか6勝に終わったものの、2024-25シーズンには23勝29敗と、B3リーグ17チーム中10位にまで浮上。年々勝率を上げ、成績も着実に向上している。

特に2024年1月の天皇杯ではB1の滋賀レイクスに78-73で勝利し、今大会唯一B1に勝ったB3クラブとして全国的に注目を浴びた。また、2025年1月の横浜エクセレンス戦では、リーグ18連勝中の強豪を撃破し、大金星を挙げた。

クラブカルチャーとファンとのつながり

しながわシティは地域と深く結びつくクラブ運営を志向しており、マスコットキャラクター「Sheena(シーナ)」や、チアダンスチーム「SEAGULLS」、ベテランMCの佐山裕亮など、エンタメ性にも力を入れている。

また、2024年の能登半島地震復興支援チャリティマッチや地域清掃活動など、社会貢献活動にも積極的に取り組み、地域住民との絆を深めている。

しながわシティの未来展望:B2昇格と3×3制覇へ

クラブの短期的な目標は、B2リーグ昇格と3×3.EXE PREMIERでの頂点獲得。長期的には品川区を拠点とした「総合型スポーツクラブ」としての完成を目指し、ジュニアユース育成や女子チームの創設も視野に入れている。

ベテランと若手の融合、5人制と3人制の両輪運用といった多層的な運営戦略は、他クラブにとってもモデルケースとなり得る。

まとめ:地域から世界へ、しながわシティの挑戦は続く

多くの困難を乗り越えてきたしながわシティ バスケットボールクラブ。その歩みは、「諦めない挑戦」の連続だった。今、B3で着実に存在感を高め、3×3の舞台でもその名を知られる存在となりつつある。

これからの日本バスケを牽引するであろう「しながわシティ」の今後に、GL3x3としても注目し続けていきたい。

【日本のバスケットボール史】伝来からBリーグ誕生までの歩みを徹底解説

日本におけるバスケットボールの始まり


バスケットボールが日本に初めて紹介されたのは、**1908年**のこと。国際YMCAトレーニングスクールを卒業した**大森兵蔵**が、東京YMCAで競技を披露したのが起源とされています。これがきっかけとなり、日本でも徐々にバスケットボールが認知されはじめました。

また、異説としては、1891年にアメリカで行われた世界初の試合に参加していた日本人留学生**石川源三郎**が持ち帰ったとする説も存在しますが、実際に指導や普及を行った記録は確認されていません。

本格的な普及は1910年代から

1913年、アメリカからYMCA体育主事**F.H.ブラウン**が来日。関東・関西の各地でバスケットボールの指導を行い、競技の普及に大きく貢献しました。

ただ当時の日本では、スポーツ施設や競技用具が未整備で、実技的な広がりには限界がありました。それでも各地の学校やYMCAを中心に、次第にバスケットボールは日本のスポーツ文化に浸透していきました。

学生競技連合と全国的な広がり

1924年、**早稲田大学・立教大学・東京商科大学**の3校が中心となり、「全日本学生籠球連合」を設立。これを機に全国で大学間対抗戦が開催され、学生スポーツとしての地位を確立していきます。

1930年には「**大日本籠球協会**」が設立(現在の日本バスケットボール協会=JBA)。この頃から、ルールや競技レベルの標準化、全国大会の開催などが行われるようになりました。

藤山快隆による指導書と教育への導入

1924年頃、教育者の**藤山快隆**が日本語で初の体系的なバスケットボール指導書『バスケットボール』を執筆・出版しました。この書籍は、技術・戦術・練習法のみならず、教育的意義にまで踏み込み、学校教育への導入に大きな役割を果たしました。

この時代に、バスケットボールは体育教育としても受け入れられ、全国の中学・高校で定着していく礎となったのです。

国際舞台での成果と課題

日本は国際大会でも一定の成果をあげています。特筆すべきは**1975年の女子世界選手権での準優勝**。この実績は、当時の女子バスケット界にとって大きな転機となりました。

ただしその後、日本代表はアジア大会などで苦戦が続き、**男子は1976年モントリオール五輪を最後にオリンピック出場が遠ざかる状況**が続いていました。女子代表は2004年アテネ五輪で3度目の出場を果たしましたが、男子と比べても課題の多い時代が続いていたのです。

プロリーグの誕生と分裂時代

2005年、日本初の男子プロリーグとして**bjリーグ**が誕生します。地方を中心に展開されたこのリーグは、新しいファン層の獲得には成功したものの、既存の**JBL(のちのNBL)**との並立体制により、日本の男子バスケット界は分裂状態が続いていました。

この分裂は、強化・育成・マーケティングなどの側面で日本バスケ全体の競争力を低下させる要因となっていました。

FIBAからの資格停止処分と改革の転機

2014年11月、日本バスケットボール協会(JBA)はFIBAから以下の理由により、**国際試合出場停止処分**を受ける事態に陥ります。

– 国内男子トップリーグの統合が未達
– ガバナンス体制に問題
– 日本代表の長期的強化策の欠如

この勧告により、JBAは急速に組織改革に着手。2015年6月にはFIBAの理事会により、**資格停止処分が正式に解除**され、日本は再び国際舞台に戻る道を開かれました。

Bリーグの誕生と新時代の幕開け

この改革の一環として、2016年9月、JBL/NBLとbjリーグが統合され、**「ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)」**が発足。これが現在の日本バスケの基盤となる男子トップリーグです。

– **1部(B1)・2部(B2)・3部(B3)**の三部制
– 全国規模でクラブが設立・運営
– 地域密着型マーケティングとアリーナ整備が進行中

Bリーグはわずか数年で観客動員や視聴率を大きく伸ばし、**国内スポーツ界の中でも注目のプロリーグ**へと成長しています。

まとめ:教育からプロへ、日本のバスケは今なお進化中

バスケットボールは、日本ではYMCAの体育教育から始まり、学校教育・大学競技を経て、現在ではプロスポーツとしての地位を確立しています。

FIBAとの軋轢や分裂リーグ時代を乗り越え、Bリーグの発足によって、**日本のバスケットボールは今まさに再成長のフェーズ**を迎えています。今後は男女代表の強化、育成年代の整備、3×3の普及など、さらなる進化が期待されます。