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【Bリーグ移籍情報】青森ワッツがマックス・ヒサタケと契約合意|平均16.6得点の主力が再契約

青森ワッツがマックス・ヒサタケとの契約合意を発表


BリーグB2・青森ワッツは2025年7月1日、マックス・ヒサタケとの2025–26シーズンにおける選手契約が合意に達したことを公式に発表した。昨季に続く再契約となり、チームにとっては戦力の軸として期待される存在の復帰となる。

ヒサタケは2024–25シーズンの青森で、48試合に出場し、平均16.6得点・11.2リバウンド・1.8アシスト・2.3スティール・1.3ブロックという圧巻のスタッツを記録。オフェンス・ディフェンス両面で存在感を放つ活躍を見せた。

マックス・ヒサタケのキャリアと特徴


現在27歳のマックス・ヒサタケは、身長203cm・体重105kgのパワーフォワード。2021–22シーズンにサンロッカーズ渋谷でプロキャリアをスタートさせ、その後三遠ネオフェニックスに移籍。さらに青森ワッツ、茨城ロボッツ、神戸ストークスとチームを渡り歩き、2024–25シーズンに青森へ復帰していた。

抜群の身体能力とフィジカルを武器に、得点・リバウンド・スティール・ブロックとマルチなスタッツを積み上げるインサイドプレイヤーとして活躍。青森にとっては攻守の要であり、ブースターの人気も高い存在だ。

ヒサタケのコメント全文「皆さんのために毎日戦います!」


青森ワッツ公式サイトにて、マックス・ヒサタケは再契約について次のようにコメントを発表している:

「ファンの皆さん、こんにちは。戻ってこられて本当に嬉しいです。たくさんの愛を分かち合ってくれたこのチーム、青森に戻ってこられて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんが私たちのためにしてくださったことすべてに感謝します。今シーズン、皆さんと共に、そして皆さんのために、勝利と成功という目標に向かって努力できることを本当に楽しみにしています。皆さんにとって最高のチームメイト、そして最高のバスケットボール選手になれるよう、全力を尽くします。素晴らしい一年になることを願っています。Go Go Wat’s!」

北谷ゼネラルマネージャーの評価と期待


青森ワッツの北谷稔行GMも、ヒサタケとの再契約に際して以下のように語っている。

「ヒサタケ選手とまた今シーズンも一緒に戦えることを嬉しく思います。昨季はケガやコンディション不良もあり、本人・チームともに納得のいくシーズンではなかったかもしれません。しかし、彼の身体能力やボールに対する嗅覚はBリーグでもトップクラス。より一層向き合い、時には厳しく、MAXの本来のパフォーマンスを引き出せるよう努力していきます。彼がB2トップの選手となることを信じていますし、それは青森の成功にもつながると確信しています。」

青森ワッツの2025–26ロスター動向

7月1日時点で、青森ワッツは以下の選手と契約継続または合意を発表している:

  • 契約継続:神里和、鍵冨太雅、大髙祐哉、猪狩渉、小室昂大、寺嶋恭之介、ラシャード・ケリー
  • 契約合意:岡部雅大、浅井修伍、ワン・ウェイジャ、ミサカボベニ、ティム・ダルガー
  • 新契約:マックス・ヒサタケ

このメンバー構成を見る限り、今季の青森はインサイドにフィジカルな選手をそろえ、トランジションやセカンドチャンスを重視した戦術を志向していると見られる。

まとめ|ヒサタケの完全復活が青森浮上の鍵

昨季は負傷や体調不良により、万全なコンディションではなかったマックス・ヒサタケ。にもかかわらず、平均16.6得点・11.2リバウンドと圧倒的な数字を残した。その存在感とポテンシャルは、B2の中でも際立っている。

2025–26シーズンは「青森の象徴」として、攻守両面でのリーダーシップが期待される。ヒサタケの活躍が、青森ワッツの躍進を導くキーファクターとなるだろう。

【バスケルール解説】タイムアウトの正しい使い方とは?FIBA・NBA・Bリーグの違いも紹介

バスケットボールにおける「タイムアウト」とは?

タイムアウトとは、バスケットボールの試合中にチームが一時的にゲームを停止し、作戦の指示・選手の休憩・流れの調整などを行うための制度です。通常は1回1分間と定められており、ゲーム展開を左右する重要な戦術手段のひとつとなります。

タイムアウトはヘッドコーチまたはアシスタントコーチが審判に対して請求でき、ゲームクロックが止まったタイミングでのみ認められます。つまり、プレー中に即座にタイムアウトが認められるわけではありません。

FIBA(国際バスケ)におけるタイムアウトのルール

FIBAルール(日本国内の多くの試合もこの基準に準拠)では、タイムアウトのルールは以下の通りです:

  • 前半(第1Q・第2Q):各チーム2回まで
  • 後半(第3Q・第4Q):各チーム3回まで
  • 1試合合計最大:5回

注意点として、前半に使わなかったタイムアウトは後半に繰り越せないため、戦略的にいつ使用するかが重要です。

第4Q残り2分ルール

第3Qから第4Q残り2:00までに1度もタイムアウトを使っていない場合、その時点で1回分のタイムアウト権利を失うため、後半は最大2回までしか使用できなくなります。

オーバータイムの扱い

延長戦(オーバータイム)は5分間で行われ、各オーバータイムにつき1回のタイムアウトが与えられます。試合がもつれた際も、戦術変更や体力管理に活用されます。

フロントコートからの再開ルール(2010年以降)

2010年のFIBAルール改訂により、第4クォーター残り2:00以降にボールを保持しているチームがタイムアウトを請求した場合、スローインの位置が自陣バックコートではなく、フロントコートのスローインラインに移動します。

これにより、終了間際の試合展開での攻撃機会が大きく変化し、逆転の可能性を高める戦術的な選択肢として活用されています。

NBAにおけるタイムアウトのルール

NBAのタイムアウトルールはFIBAと異なり、より細かく設定されています:

  • 1試合あたり:1分のタイムアウトが6回まで
  • 第4Qに使用できるタイムアウトは最大3回
  • 前半・後半に1回ずつ「20秒タイムアウト」も取得可能(1試合計2回)
  • オーバータイムごとに1分×3回までタイムアウト可

さらにNBAでは、攻撃中の選手自身がタイムアウトを請求可能である点も特徴的です。これにより、緊急時やターンオーバー回避の目的でもタイムアウトを効果的に活用できます。

Bリーグ(日本国内プロリーグ)のタイムアウト制度

ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)では、FIBAルールをベースにしながらも、以下のような独自ルールがあります:

  • 各チーム:FIBAと同様に前半2回、後半3回のタイムアウト
  • 第2Q・第4Q残り5分を切った最初のボールデッド時に「オフィシャルタイムアウト」(90秒)が自動で実施される

このオフィシャルタイムアウトは、テレビ中継や試合運営をスムーズに行うための休止時間で、戦術整理やスポンサー対応などにも使われます。

小学生・ユースカテゴリにおけるタイムアウトの違い

小学生のカテゴリーではルールが簡略化されており、第4Qや延長戦でのタイムアウト時に選手交代が可能です。これは育成年代における選手の安全性や公平性を考慮した措置であり、将来のプレーヤー育成にもつながっています。

まとめ:タイムアウトは「戦略」と「流れ」を変える鍵

バスケットボールにおけるタイムアウトは、単なる休憩ではなく、試合の流れを変え、選手の集中を再構築する貴重な戦術リソースです。

どのタイミングで、どの意図で使うかによって、試合の勝敗すら左右するほど重要な要素となるため、選手・コーチともにタイムアウトのルールを深く理解しておくことが求められます。

FIBA・NBA・Bリーグなどでの違いも押さえて、より高度な観戦やプレーに役立てていきましょう。

宇都宮ブレックスが一挙14名と契約継続発表!田臥勇太&比江島慎らが新シーズンへ挑む

宇都宮ブレックスが2025-26シーズンに向け14名と契約継続

B1リーグ所属の宇都宮ブレックスは、2025年6月30日にチーム所属選手の契約状況を発表し、現役を引退した村岸航を除く14名との契約継続を明らかにした。これにより、2025-26シーズンに向けたチームの骨格が固まり、国内外のタイトル防衛に挑む態勢が整った。

今季、宇都宮は3年ぶりとなるBリーグ制覇を達成し、さらにアジア最高峰のクラブ大会『バスケットボールチャンピオンズリーグアジア2025(BCL Asia)』でも優勝。国内外で二冠を成し遂げた背景には、チーム全体の組織力と層の厚さがあった。

発表が遅れた背景と一斉発表の意義

シーズン終了後も契約更新の発表がなかなか行われなかったのは、宇都宮が国際大会を戦っていたためであり、選手の去就に関する情報が出揃うタイミングを見計らっていた。BCL Asiaの終了と新シーズン登録日を目前に控えた6月30日、ようやく全選手の動向が明らかとなった。

この一斉発表には、ファンや関係者に向けて「チーム一丸で戦い続ける」という強いメッセージが込められている。

田臥勇太、現役18年目の意気込み

44歳となる田臥勇太は、今季も宇都宮ブレックスの象徴としてプレーを継続。Bリーグ最年長選手でありながら、ベンチや練習での存在感は絶大だ。18シーズン目を迎える田臥は、クラブを通じて「大好きな仲間たちとバスケットができる喜びを胸に、また最高の景色を目指して戦い続けたい」とコメントを発表。自身の成長とチームへの貢献に意欲を見せている。

比江島慎「新たな歴史をともに」

宇都宮の日本人エースとして活躍し、2024-25シーズンにはベスト3ポイント成功率賞を受賞した比江島慎は、35歳のシーズンを目前にさらなる飛躍を誓った。「EASLや天皇杯などでも新たな歴史をつくりたい。ハードなスケジュールの中でも全力で戦います」と、複数の公式戦に向けて意欲を語っている。

比江島はニュービルと並びチームのダブルエースとして機能し、国内外の舞台で宇都宮を牽引してきた。来シーズンもその役割は健在だ。

若手選手の躍動とチームの層の厚さ

今回の契約継続には、高島紳司や小川敦也といった成長著しい若手選手の名も含まれている。特別指定枠の星川開聖、U22選手として登録される石川裕大など、将来の主力候補も順調に育成されており、チームの若返りと強化が同時に進んでいる。

このように、経験豊富なベテラン勢と勢いのある若手が共存する体制は、宇都宮ブレックスの強さの源である。

2025-26シーズン契約継続選手一覧

  • #0 田臥勇太
  • #6 比江島慎
  • #7 小川敦也
  • #9 遠藤祐亮
  • #10 竹内公輔
  • #12 高島紳司
  • #13 渡邉裕規
  • #15 石川裕大(U22枠)
  • #17 星川開聖(特別指定選手プロ契約)
  • #18 鵤誠司
  • #25 D.J・ニュービル
  • #33 ギャビン・エドワーズ
  • #34 グラント・ジェレット
  • #42 アイザック・フォトゥ

未来を見据えるブレックスの戦略

ブレックスはこの発表により、選手全員の契約を一気に公表することで、ファンやスポンサーに対して来季も「変わらぬ強さ」を維持するという安心感を与えた。田臥や比江島を筆頭に、新旧の融合が進む布陣で、再びリーグの頂点を狙う。

また、アジアリーグや天皇杯など複数の大会での戦いが待つ2025-26シーズンに向け、選手のモチベーションも高い。宇都宮ブレックスが次に描くストーリーは、さらなる進化と記録更新のシーズンになるだろう。

【日本のバスケットボール史】伝来からBリーグ誕生までの歩みを徹底解説

日本におけるバスケットボールの始まり


バスケットボールが日本に初めて紹介されたのは、**1908年**のこと。国際YMCAトレーニングスクールを卒業した**大森兵蔵**が、東京YMCAで競技を披露したのが起源とされています。これがきっかけとなり、日本でも徐々にバスケットボールが認知されはじめました。

また、異説としては、1891年にアメリカで行われた世界初の試合に参加していた日本人留学生**石川源三郎**が持ち帰ったとする説も存在しますが、実際に指導や普及を行った記録は確認されていません。

本格的な普及は1910年代から

1913年、アメリカからYMCA体育主事**F.H.ブラウン**が来日。関東・関西の各地でバスケットボールの指導を行い、競技の普及に大きく貢献しました。

ただ当時の日本では、スポーツ施設や競技用具が未整備で、実技的な広がりには限界がありました。それでも各地の学校やYMCAを中心に、次第にバスケットボールは日本のスポーツ文化に浸透していきました。

学生競技連合と全国的な広がり

1924年、**早稲田大学・立教大学・東京商科大学**の3校が中心となり、「全日本学生籠球連合」を設立。これを機に全国で大学間対抗戦が開催され、学生スポーツとしての地位を確立していきます。

1930年には「**大日本籠球協会**」が設立(現在の日本バスケットボール協会=JBA)。この頃から、ルールや競技レベルの標準化、全国大会の開催などが行われるようになりました。

藤山快隆による指導書と教育への導入

1924年頃、教育者の**藤山快隆**が日本語で初の体系的なバスケットボール指導書『バスケットボール』を執筆・出版しました。この書籍は、技術・戦術・練習法のみならず、教育的意義にまで踏み込み、学校教育への導入に大きな役割を果たしました。

この時代に、バスケットボールは体育教育としても受け入れられ、全国の中学・高校で定着していく礎となったのです。

国際舞台での成果と課題

日本は国際大会でも一定の成果をあげています。特筆すべきは**1975年の女子世界選手権での準優勝**。この実績は、当時の女子バスケット界にとって大きな転機となりました。

ただしその後、日本代表はアジア大会などで苦戦が続き、**男子は1976年モントリオール五輪を最後にオリンピック出場が遠ざかる状況**が続いていました。女子代表は2004年アテネ五輪で3度目の出場を果たしましたが、男子と比べても課題の多い時代が続いていたのです。

プロリーグの誕生と分裂時代

2005年、日本初の男子プロリーグとして**bjリーグ**が誕生します。地方を中心に展開されたこのリーグは、新しいファン層の獲得には成功したものの、既存の**JBL(のちのNBL)**との並立体制により、日本の男子バスケット界は分裂状態が続いていました。

この分裂は、強化・育成・マーケティングなどの側面で日本バスケ全体の競争力を低下させる要因となっていました。

FIBAからの資格停止処分と改革の転機

2014年11月、日本バスケットボール協会(JBA)はFIBAから以下の理由により、**国際試合出場停止処分**を受ける事態に陥ります。

– 国内男子トップリーグの統合が未達
– ガバナンス体制に問題
– 日本代表の長期的強化策の欠如

この勧告により、JBAは急速に組織改革に着手。2015年6月にはFIBAの理事会により、**資格停止処分が正式に解除**され、日本は再び国際舞台に戻る道を開かれました。

Bリーグの誕生と新時代の幕開け

この改革の一環として、2016年9月、JBL/NBLとbjリーグが統合され、**「ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)」**が発足。これが現在の日本バスケの基盤となる男子トップリーグです。

– **1部(B1)・2部(B2)・3部(B3)**の三部制
– 全国規模でクラブが設立・運営
– 地域密着型マーケティングとアリーナ整備が進行中

Bリーグはわずか数年で観客動員や視聴率を大きく伸ばし、**国内スポーツ界の中でも注目のプロリーグ**へと成長しています。

まとめ:教育からプロへ、日本のバスケは今なお進化中

バスケットボールは、日本ではYMCAの体育教育から始まり、学校教育・大学競技を経て、現在ではプロスポーツとしての地位を確立しています。

FIBAとの軋轢や分裂リーグ時代を乗り越え、Bリーグの発足によって、**日本のバスケットボールは今まさに再成長のフェーズ**を迎えています。今後は男女代表の強化、育成年代の整備、3×3の普及など、さらなる進化が期待されます。

琉球ゴールデンキングス、ヴィック・ローと契約継続|B1ベスト5選出のエースが3年目へ

ヴィック・ロー、琉球で3年目へ突入!2025−26シーズン契約継続を発表

B1リーグ所属の琉球ゴールデンキングスは2025年6月27日、アメリカ出身のフォワード、ヴィック・ローとの契約を2025−26シーズンも継続することを公式発表しました。チームの得点源としてだけでなく、精神的支柱としても存在感を発揮してきたロー。3年目となる来季も琉球の中心選手として活躍が期待されます。

NBA経験も持つ万能フォワード、ヴィック・ローのプロフィール


ヴィック・ローは1995年生まれの29歳。アメリカ・イリノイ州出身で、身長201センチ、体重94キロのスモールフォワード兼パワーフォワードです。ノースウエスタン大学で4年間活躍後、2019年にはNBAのオーランド・マジックと2Way契約を結び、主に下部組織であるGリーグのレイクランド・マジックでプレーしました。

その後、オーストラリア・NBLや日本の千葉ジェッツでもプレー。2023−24シーズンから琉球に加入し、日本バスケファンにも強い印象を与える活躍を続けています。

2024−25シーズンの主力として活躍、B1ベストファイブにも選出

在籍2年目となった2024−25シーズン、ローはB1リーグ戦で全56試合に出場。そのうち47試合でスターティングメンバーを務め、チーム最多となる平均16.0得点、3.6アシストを記録しました。オフェンスの軸としてだけでなく、クラッチタイムにおける勝負強さ、ゲームメーク力、ディフェンスでも高い貢献を見せました。

これらの活躍が評価され、シーズン終了後にはリーグの「B1ベストファイブ」にも選出。名実ともにリーグ屈指のフォワードとしての地位を確立しました。

岸本不在でもチームをけん引、4年連続ファイナル進出の原動力に

シーズン終盤にはキャプテンの岸本隆一を怪我で欠く苦しい展開が続きましたが、ローは精神的支柱としても存在感を発揮。オフェンスを司るだけでなく、試合終盤の重要な場面で冷静に得点を重ね、琉球を4年連続となるB1ファイナル進出へ導きました。

ローの“勝負強さ”はチームメートだけでなく、ファンや対戦相手にも大きな印象を残し、琉球が強豪として地位を維持し続ける要因の一つとなっています。

ローのコメント「沖縄の一員として、さらなる成長を目指す」


今回の契約継続にあたり、ヴィック・ローはクラブを通じて次のようにコメントしました。

「琉球ゴールデンキングスの選手として、3年目のシーズンを迎えられるのが本当に楽しみです! この2年間は本当に素晴らしい時間で、チームや沖縄の街からたくさんのことを学びました。新しいシーズンで何が待っているのか、今からワクワクしています。バスケットボール選手としても、そして沖縄の代表としても、これからもっと成長していけると信じています」

単なるプロ契約選手ではなく、クラブと地域への強い思いを持っていることが伝わるメッセージ。ローのコメントからは、次のステップとしての“地域代表選手”という意識の高さも見て取れます。

ジャック・クーリーも契約継続、琉球の主軸が出揃う

同日、琉球はもう一人の主力インサイドプレーヤー、ジャック・クーリーとの契約継続も発表しました。これにより、2025−26シーズンもローとクーリーの主力コンビが引き続きチームを支える体制が整いました。

現時点で来季の契約未発表選手はケヴェ・アルマのみとなっており、チーム編成は最終段階へと進んでいる模様です。琉球のフロント陣は、早い段階から来季の体制強化に動いており、リーグ制覇へ向けて着実な準備を進めています。

琉球ゴールデンキングスにおけるローの存在意義

ローは単なるスコアラーではなく、戦術理解度の高いプレーメーカーであり、ディフェンスでも高い貢献を果たせる万能型のフォワード。高いスキルセットとバスケIQを備えた選手であり、まさに“琉球の要”と言える存在です。

また、ファンとのコミュニケーションや沖縄文化への適応力の高さもあり、地域密着型クラブとしての価値を体現する存在。3年目となる来シーズンは、さらなるリーダーシップ発揮が期待されます。

まとめ|タイトル獲得へ向け、琉球のエンジン再始動


ヴィック・ローの契約継続は、琉球ゴールデンキングスにとって今オフ最大級の朗報。得点力、リーダーシップ、地域貢献のすべてを兼ね備えた彼の存在は、クラブの未来にとって欠かせないピースです。

来季、B1制覇を目指す琉球にとって、ローのさらなる進化がチームの鍵を握ることは間違いありません。ファンにとっても、また彼の成長ストーリーを追う楽しみが続くことになるでしょう。

神戸ストークスの中西良太が現役引退を発表|14年のキャリアに幕、新たな役割でバスケ界に貢献へ

神戸ストークス・中西良太が現役引退を発表


2025年6月27日、B2リーグの神戸ストークスは、ベテランパワーフォワード中西良太が2024−25シーズンをもって現役を引退することを正式に発表しました。地元・兵庫県出身で長年にわたって国内バスケットボール界に貢献してきた中西は、引退後もクラブに留まり、「神戸ストークス クラブ エバンジェリスト」として地域貢献や広報活動を通じて新たなステージへと歩みを進めます。

202センチ110キロのインサイドプレイヤー|中西良太のキャリア概要


中西良太選手は1989年生まれの兵庫県出身。身長202センチ、体重110キロと恵まれた体格を生かして、長年インサイドを主戦場とするパワーフォワードとしてプレーしました。プロキャリアは2011−12シーズン、NBDL(日本バスケットボールリーグ開発リーグ)のTGI・Dライズからスタート。その後、2012年に地元の兵庫ストークス(現・神戸ストークス)へ加入し、本格的にプロとしての地歩を固めていきました。

その後は熊本ヴォルターズや佐賀バルーナーズといった複数クラブでも経験を重ね、2021年からは古巣である神戸(旧西宮)に復帰。神戸での復帰後も豊富な経験を活かし、ベンチからチームを支える重要なロールプレーヤーとして活躍してきました。

通算433試合出場|B2リーグでの輝かしい実績

中西はプロキャリア通算でB2リーグ公式戦433試合に出場。その間に記録したスタッツは以下の通りです:

  • 通算得点:3,398点
  • 通算リバウンド:1,713本
  • 通算アシスト:402本
  • 通算ブロック:177本

特にインサイドでの身体を張った守備やスクリーン、リバウンドでの貢献が光り、スコアに現れない部分でもチームにとってかけがえのない存在でした。2024−25シーズンも48試合に出場し、平均2.5得点、2.1リバウンドを記録。36歳という年齢ながらも献身的なプレーでチームに貢献し続けてきました。

引退のメッセージに込めた想い|感謝と新たな決意

クラブ公式サイトを通じて中西は次のようにコメントを発表しました:

この度、プロバスケットボール選手としての現役生活に区切りをつけ、引退する決断をいたしました。14年間という長いようであっという間の時間の中で、数えきれないほどの経験と学び、そして何よりも多くの方々との出会いに恵まれました。ここまで続けてこられたのは、いつも温かく支えてくださったブースターの皆さま、チームメート、指導者の方々、そしてなにより家族のおかげです。心から感謝申し上げます。

14年にわたるプロキャリアを振り返りながら、これまで支えてくれた人々への感謝の言葉を丁寧に綴りました。また、セカンドキャリアに向けても前向きな姿勢を見せています。

引退後は「クラブ エバンジェリスト」として新たな役割へ


現役を退いた中西は、今後「神戸ストークス クラブ エバンジェリスト」として活動していくことが決まっています。この役職は、クラブと地域、そしてバスケットボール界を繋ぐ広報的な役割を担うポジションで、選手時代に築いてきた人脈と信頼を活かし、地域社会とクラブの架け橋となることが期待されています。

本人も「バスケットボールを通して得たすべてを次に活かしていきたい」と語っており、競技人生の経験を社会に還元する新たなキャリアへと踏み出します。

Bリーグ初期からの功労者として|地方クラブを支えた功績

中西良太は、Bリーグ発足以前から地域クラブを支えてきた“草の根プロ選手”の代表格とも言える存在です。スター選手の陰でチームを支えるロールプレーヤーの価値は、特に地域密着型のBリーグでは欠かせない存在であり、中西はその模範的な選手の一人でした。

試合中のプレーのみならず、地域イベントや学校訪問などの活動にも積極的に参加し、地元ファンとの信頼関係を築き上げてきた功績は大きく、神戸ストークスにおける“顔”の一人として認識されてきました。

今後に寄せられる期待とエール

今後、中西が神戸ストークスのクラブエバンジェリストとして果たす役割には多くの期待が集まります。選手としての14年にわたる経験と、バスケに対する誠実な姿勢は、次の世代にとっても大きな刺激となるでしょう。

現役引退は一つの節目にすぎず、彼の挑戦は新たなフィールドでこれからも続いていきます。ファンからも「ありがとう」「第2の人生も頑張ってください」といった温かいエールが多く寄せられており、その人望の厚さが伺えます。

まとめ|14年間のキャリアに感謝と敬意を

神戸ストークスの中西良太選手は、14年間のプロキャリアを通じて多くの人々に感動を届けてきました。バスケットボールという競技を通じて、選手として、そして地域の一員として、常に全力で向き合ってきたその姿勢は、今後も多くの人の記憶に残り続けることでしょう。

第二の人生での活躍にも期待が高まる中、これまでの功績に対して改めて敬意を表するとともに、「お疲れさまでした、そしてこれからもよろしくお願いします」というメッセージを贈りたいと思います。

太田敦也が18年の現役生活に幕―三遠一筋の“日本代表センター”が語る引退の想い

三遠ネオフェニックスの象徴、太田敦也が現役引退を発表


B1リーグの三遠ネオフェニックスは、2025年6月27日、ベテランセンター・太田敦也が2024−25シーズン限りで現役を引退すると発表しました。長年にわたりクラブ一筋でプレーしてきた太田は、国内屈指のインサイドプレイヤーとして数々の実績を残し、41歳の節目にそのキャリアに幕を下ろす決断を下しました。

206cmの長身センター、18年間のプロキャリア

愛知県出身の太田敦也は、1983年6月4日生まれの41歳。身長206cm、体重113kgの堂々たる体格を誇るセンターです。市立柏高校、日本大学を経て、2007−08シーズンにオーエスジーフェニックス東三河(現・三遠ネオフェニックス)に加入。以降18シーズンにわたり、同一クラブでプレーし続けてきました。

在籍中にはbjリーグ、Bリーグの両リーグを経験し、クラブの象徴的存在として君臨。2011年にはFIBAアジア選手権に出場し、日本代表としても活躍しました。長きにわたってインサイドの要としてチームを支え続け、その存在感はファンの間でも特別なものとなっていました。

日本代表としての誇りと責任

太田はクラブだけでなく、代表活動でも重要な役割を果たしてきました。2010年代には日本代表の常連メンバーとして数多くの国際大会に出場。夢であったオリンピックの舞台には届かなかったものの、アジア予選などの大一番でユニフォームをまとい、国を背負って戦った経験は、彼にとってかけがえのない時間となりました。

代表からクラブへ戻ってきた際には、「自分が引っ張っていかなければ」という自覚と責任感が強まり、プレー以外でも精神的支柱としての役割を果たしていきました。

チームの浮き沈みとともに歩んだキャリア


長いキャリアの中では、順風満帆な時期ばかりではありませんでした。若手時代は試合にほとんど出られず、1年目は数試合の出場にとどまりました。2年目のbjリーグ参入をきっかけに出場機会が増えたものの、当時の中村監督の下でのハードなトレーニングと指導に苦しんだ日々もありました。

しかし、その経験が土台を築き、徐々にコート上での存在感を発揮。3度のbjリーグ優勝に貢献するなど、クラブにとって欠かせない選手として成長していきました。特にインサイドでのボックスアウトやスクリーンプレー、堅実なディフェンス力は長年にわたって評価されてきました。

近年の役割は「メンター」としての存在

近年は出場時間が減少し、2024−25シーズンのリーグ戦では24試合の出場にとどまりました。それでも、ロッカールームでの影響力や若手選手への助言、日常の姿勢など、太田の存在は「メンター」としてチームにとって大きな支えとなっていました。

B1リーグ通算では、440試合に出場し、2083得点、1229リバウンド、103ブロックを記録。数字が物語るように、長期間にわたる安定したプレーでチームを支え続けてきました。

22連勝、セミファイナル進出…最後のシーズンに刻んだ軌跡

2024−25シーズン、三遠ネオフェニックスはB1リーグ中地区で22連勝を達成し、セミファイナル進出という快挙を成し遂げました。チームとしては過去最高とも言える結果を残した一方で、太田自身は「求められる役割に応えられなかった」と自らを省みるコメントも残しています。

それでも、チームが勝ち進む姿を最前線で見守り、ベンチから大きな声を張り続けた姿は、多くのファンの記憶に残ることでしょう。

感謝を込めたラストメッセージ:「みんながあっての自分」

クラブ公式サイトを通じて、太田は長文のコメントを発表。18年間の歩みを振り返る中で、厳しかった若手時代やbjリーグ優勝、日本代表での経験、チームの低迷期、そして最後の大躍進に至るまで、自身の成長と周囲への感謝を率直に語りました。

特に、支えてくれた家族、妻への感謝の言葉を強く表現しており、「子育ての最中も背中を押してくれた妻がいたからこそ、ここまで来られた」と胸の内を明かしています。

「この私、太田敦也を18年間応援してくださり、本当にありがとうございました。『みんながあっての自分』という言葉を胸に、これからも前に進んでいきます。三遠ネオフェニックスを今後とも応援よろしくお願いします」

太田敦也の“その後”にも注目が集まる


今後、指導者としての道を歩むのか、バスケットボール界の別の形で貢献していくのか、現時点では明かされていません。しかし、18年間クラブとともに戦い、ファンに夢と感動を与えてきた太田敦也の新たなチャレンジに、多くの人が期待を寄せています。

太田の現役引退は一つの時代の終わりを示すと同時に、新たなスタートでもあります。その誠実な姿勢とリーダーシップは、今後もバスケ界で受け継がれていくことでしょう。

ジャック・クーリーが琉球と再契約!6年目の信頼厚く「再び沖縄に優勝を」

琉球ゴールデンキングス、クーリーとの契約継続を正式発表

Bリーグ・B1に所属する琉球ゴールデンキングスは、2025年6月27日、インサイドの要であるジャック・クーリーとの契約を2025−26シーズンも継続すると公式に発表しました。6年連続でチームに在籍することになるベテランビッグマンの存在は、今後も琉球の中心として機能していくことが期待されています。

206cmのビッグマン、琉球の柱として安定した成績を記録


ジャック・クーリーはアメリカ・イリノイ州出身で、現在32歳。身長206cm、体重112kgの恵まれた体格を活かし、センターポジションで長年活躍してきました。大学時代はノートルダム大学で活躍し、NBAのユタ・ジャズやGリーグ、さらには海外リーグでも経験を積んだ後、2019年に琉球と契約し日本の舞台へ。その後は琉球に完全フィットし、リーグでも屈指のインサイドプレイヤーとして知られる存在となりました。

2024−25シーズンのスタッツ:全試合出場で安定した貢献

2024−25シーズンには、B1リーグ戦の全60試合に出場。1試合平均で24分39秒のプレータイムを得て、12.3得点、9.9リバウンド、1.3アシストという安定感のある数字を記録しました。とりわけリバウンド面では相手の攻撃を断ち切るだけでなく、セカンドチャンスを生み出す重要な役割を担っています。

またこのシーズン、琉球はクラブ史上初の天皇杯制覇を成し遂げ、西地区優勝も飾りました。さらに、4年連続でBリーグファイナルに進出するなど、リーグトップクラスの成績を残す原動力となったのがクーリーの存在です。

「この島にもう一度チャンピオンシップを」本人が語る決意

契約継続の発表に際し、クーリーは次のように意欲を語りました。

「2025−26シーズンも沖縄でプレーできることに誇りを感じています。琉球というチーム、そしてファンの皆さんとともに、またこの特別な場所で戦えることに感謝しています。前シーズンは天皇杯優勝やファイナル進出など、確かに成果はありましたが、目指していたリーグ制覇は逃しました。だからこそ、来シーズンはさらに高みを目指して、全力で臨みたいと思います」

琉球とクーリーの関係性はさらに深まるか


2019年に琉球に加入して以来、クーリーはプレーだけでなく、リーダーシップでもチームを支えてきました。ピック&ロールからのフィニッシュ、ゴール下でのポストプレー、スクリーンを駆使した戦術的プレーなど、クーリーの存在が琉球のオフェンス・ディフェンスの両面を支えていることは疑いようがありません。

また、沖縄という土地への愛着やファンとの絆も深く、クーリーが「沖縄は特別な場所」と語るように、単なる選手以上の存在として地域にも根付いています。彼の残留は、来季のチーム強化だけでなく、ブースターのモチベーションにも大きな影響を与えるでしょう。

琉球の未来に向けて:ベテランと若手の融合に注目


2025−26シーズン、琉球はクーリーを軸に据えつつも、次世代選手の台頭も求められるタイミングに差し掛かっています。クーリーの経験と安定感は、若手にとっては貴重な学びの機会であり、チームにとっては大きな資産です。

Bリーグでも屈指の組織力とファンベースを持つ琉球において、クーリーがどのような形でチームを牽引していくか、そして悲願のリーグ制覇にたどり着けるか、今後の動向が注目されます。

若き才能が集結!男子日本代表がジョーンズカップに向け第2次合宿メンバーを発表

若手精鋭が再集結、ジョーンズカップへ向けた第2次合宿メンバー決定

公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA)は2025年6月26日、7月にチャイニーズ・タイペイで開催される「第44回ウィリアム・ジョーンズカップ」男子日本代表に向けた第2次強化合宿の参加メンバー18名を正式に発表した。

脇真大を筆頭に、将来性豊かな若手が集結

今回選出されたメンバーには、Bリーグで今季新人賞を受賞した脇真大(琉球ゴールデンキングス)をはじめ、大学生や高校生など将来が期待される若手選手が数多く含まれている。
彼らは、今後の日本代表を担う人材として、今大会を通じてさらにステップアップが期待されている。

白谷柱誠ジャック、高校1年生ながら代表候補に抜擢

最年少メンバーとして注目を集めているのが、高校1年生の白谷柱誠ジャック(福岡大大濠高)だ。わずか16歳にして代表候補入りを果たした逸材は、194cmのサイズとポテンシャルで注目を集めている。
今回の合宿では、年上の選手たちに交じってどのようなプレーを見せるか、関係者からも期待が高まっている。

第1次合宿からの変更点、前野幹太が新たに招集

先日終了した第1次合宿からは、崎濱秀斗(琉球ゴールデンキングス)がメンバーから外れ、代わりに前野幹太(横浜ビー・コルセアーズ)が新たに名を連ねた。前野は大学時代から注目されていた存在で、プロの舞台でもその才能を開花させつつある。

ジョーンズカップは若手の国際経験の場、7月に開幕

「ウィリアム・ジョーンズカップ」は、アジア各国からの強豪チームが集う国際大会であり、若手日本代表にとっては貴重な実戦経験の場だ。
第44回大会は2025年7月12日から20日にかけてチャイニーズ・タイペイにて開催される予定。第2次合宿は6月27日より始動し、本番へ向けてさらなる戦術構築と連携強化が図られる。

合宿参加メンバー一覧(2025年6月26日時点)

  • 黒川虎徹(PG/177cm/24歳/アルティーリ千葉)
  • 脇真大(SG/193cm/23歳/琉球ゴールデンキングス)
  • 木林優(PF/200cm/23歳/レバンガ北海道)
  • 前野幹太(SF・PF/194cm/22歳/横浜ビー・コルセアーズ)
  • 根本大(PG/180cm/22歳/三遠ネオフェニックス)
  • 佐藤涼成(PG/173cm/21歳/白鷗大学)
  • 小澤飛悠(SF/190cm/20歳/日本体育大学)
  • 広瀬洸生(SG/189cm/20歳/青山学院大学)
  • 中川知定真(PF/192cm/20歳/東海大学)
  • 星川開聖(SF/194cm/20歳/宇都宮ブレックス)
  • アピアパトリック眞(C/197cm/20歳/専修大学)
  • 長谷川比源(SF・PF/202cm/20歳/滋賀レイクス)
  • ウィリアムスショーン莉音(PF/197cm/20歳/白鷗大学)
  • 大舘秀太(C/200cm/19歳/東海大学九州)
  • 近怜大成(C/200cm/19歳/大東文化大学)
  • 井伊拓海(C/197cm/18歳/筑波大学)
  • 十返翔里(SF/193cm/18歳/東海大学)
  • 白谷柱誠ジャック(SF/194cm/16歳/福岡大大濠高校)

代表スタッフ陣も充実の布陣でバックアップ

  • チームリーダー:松藤貴秋(中京大学)
  • ヘッドコーチ:網野友雄(白鷗大学)
  • アソシエイトコーチ:佐藤賢次(川崎ブレイブサンダース)
  • アシスタントコーチ:西尾吉弘(大東文化大学)
  • アシスタントコーチ:小川伸也(千葉ジェッツ)
  • アシスタントコーチ:町田洋介(越谷アルファーズ)
  • アスレチックトレーナー:高橋忠良(JBA)
  • アスレチックトレーナー:今崎嘉樹(信州ブレイブウォリアーズ)
  • スポーツパフォーマンスコーチ:星野洋時(JBA)
  • テクニカルスタッフ:松井康司(広島ドラゴンフライズ)
  • チームマネージャー:髙木歩幸(JBA)

未来の日本代表を担う若き世代が挑む国際舞台

今大会に参加する若手代表は、将来的にフル代表入りを果たす可能性を秘めた逸材ばかり。平均年齢20歳前後という若さに加え、国内外の強豪を相手に経験を積む機会は、彼らの成長にとって欠かせない。
今後の日本代表の中核を担う選手たちのパフォーマンスに、国内バスケファンからも大きな注目が集まっている。

Bリーグの未来を変える“次元違い”の新アリーナ──名古屋と東京で始まる観戦革命

Bリーグの観戦体験が変わる──2025-26シーズンは新アリーナ元年に

日本バスケットボール界に新たな地平が開かれようとしている。2025年から2026年にかけて、Bリーグの各クラブが新たなホームアリーナを次々と完成させ、「B.改革」の中核をなすB.LEAGUE PREMIERの準備が本格化。観戦スタイルや興行スタンダードそのものが一新される。

そんな変化の中心にあるのが、名古屋ダイヤモンドドルフィンズとアルバルク東京の2クラブによる“次元の違う”アリーナ建設である。Bリーグチェアマンの島田慎二氏も、自身のポッドキャスト番組『島田のマイク』第242回で、両施設の持つポテンシャルについて熱く語った。

名古屋城と目線が交わるIGアリーナ、2025年7月始動

まず紹介すべきは、2025年7月にグランドオープンを控える名古屋ダイヤモンドドルフィンズの新本拠地『IGアリーナ』。最大収容人数1万5000人を誇り、Bリーグ史上最大規模の屋内スポーツ施設として注目されている。

島田チェアマンは「これまでのBリーグ会場とはスケールがまったく違う」とし、年間動員数で千葉ジェッツを超える可能性を語る。さらに「コンコースの窓からは名古屋城が目の前に見える」と、アリーナの立地も魅力的。地元の歴史と融合した施設設計は、スポーツと地域文化の新たな接点となるだろう。

トヨタアリーナ東京が創る没入型バスケ体験

一方、東京に新たなランドマークとして誕生するのが『TOYOTA ARENA TOKYO』。今秋にオープン予定のこのアリーナは、アルバルク東京のホームとなり、Bリーグ観戦の未来像を体現する最先端施設だ。

同施設の設計にはA東京のフロントが深く関与しており、長年の興行運営から得た知見を随所に反映。「入場してすぐの視界が野球場のように開けていて、一瞬で空間に引き込まれる感覚がある」と島田チェアマンは語り、施設全体が観戦者の五感に訴えるようデザインされていることがわかる。

観戦快適性を追求、全席クッション・視野設計も秀逸

トヨタアリーナ東京のこだわりは座席設計にも表れている。全席がクッションシート仕様で、角度を持たせた設計によって、長時間の試合観戦でも疲れにくい構造となっている。

島田チェアマンは「座ると自然に目線がコートの中央へ向かい、臨場感が損なわれない」とその快適性を高く評価。バスケットボールという“動きの速いスポーツ”において、視認性と身体的負担の軽減は観戦者体験を左右する大きな要素だ。

島田チェアマンが語る「ド級」のスケール感

2つのアリーナを視察した島田氏は、いずれにも「次元が違う」「超ド級の迫力」と最大級の賛辞を送った。今後、これらのアリーナが稼働を始めることで、Bリーグのイメージは大きく変わることが予想される。

「バスケの試合だけでなく、演出、音響、施設の雰囲気すべてがアップデートされる」とも語り、観客が“エンタメとしてのバスケットボール”をより深く体感できる空間になることを強調した。

「記録すること」の価値、ドライバー応援企画に通じる共通点

番組後半では、ポッドキャストのスポンサーである『全国ドライバー応援プロジェクト』に関連する話題も展開された。ドライバーが日々の走行距離や燃費、渋滞状況を記録することによって、安全運転や効率化が図られる点が取り上げられた。

島田チェアマン自身の体験談として、体重管理においても「記録をすることで行動が変わる」と強調。「数字を可視化することで、改善への道筋が見えてくる」と語り、バスケ運営にも通じる“PDCAサイクル”の重要性を示唆した。

スポーツと社会の接点、Bリーグが担う未来的役割

新アリーナの誕生と、スポンサー企画に見られる社会的テーマの取り組みは、Bリーグが“単なるプロスポーツ”を超えた存在を目指している証拠でもある。

島田チェアマンが番組を通じて一貫して語っているのは、バスケットボール